壮絶な男女の愛の映画が公開される。いや、愛という言葉は甘すぎるかもしれない。一組の男女の生き様を描く作品であり、愛がそこにあるのかは分からない。しかし確かにきっかけは愛だったはずだ。別れた2人はそれぞれの人生を生き、数年を経て再会する。2人の辿った過酷な運命が明らかになる。
社会の底辺を生きる男女の姿が突き刺さる『水いらずの星』(11月24日公開)は、俳優である河野知美さんがプロデューサーとして企画した作品である。プロデュースと俳優を兼ねる女性は日本ではまだ多いとは言えないなか、河野さんは外国との共同製作も視野に入れて映画作りに取り組む一方、本作のように人間の業や性(さが)を剥き出しにした迫真の演技を実現させている。作品の魅力と、製作に取り組むモチベーションについて、河野知美さん(プロデューサー時には「古山知美」名義もあり)にお話を伺ってみた。
河野知美 梅田誠弘 滝沢涼子
脚本・監督:越川道夫 原作:松田正隆 企画・プロデューサー:古山知美(河野知美)
音楽:宇波拓 撮影:髙野大樹 美術・装飾:平井淳郎 音響:川口陽一 編集:菊井貴繁
衣装:藤崎コウイチ ヘアメイク:薩日内麻由 特殊造形:百武朋
スチール:上澤友香 スチールヘアメイク:西村桜子
助監督:二宮崇 制作担当:藤原恵美子
製作:屋号 河野知美 映画製作団体/Ihr HERz Inc.
配給・宣伝:フルモテルモ/Ihr HERz Inc. R15+
© 2023松田正隆/屋号 河野知美 映画製作団体
2023年/日本/164分/カラー/アメリカンビスタ/5.1ch/DCP
映画公式HP:https://mizuirazu-movie.com
公式 X:@Mizuirazu_movie 公式Instagram:@mizuirazu_movie
プロデューサーになった経緯
矢田部「もともと俳優として活動されていた河野さんは、いかにしてプロデュースを行うようになったのでしょう?」
河野「お知り合いだった俳優仲間の広山詞葉さんと前々から何か映画を作れたらいいね、とネタ探しをしている中でパンデミックになり、彼女が『文化庁の助成金があるからこれを機に今こそ一緒にやらないか』と声をかけてくれ実現したのが、3人の俳優で共同プロデュースした『truth ~姦しき弔いの果て~』(21)です。
私が精子バンクをモチーフとすることに関心があり、そのテーマならばと堤幸彦監督が受けてくださいました。次は1人のプロデューサーとして作品を製作すべきだと思い、高橋洋監督にホラー映画を作りませんかと持ち掛けたのが『ザ・ミソジニー』(22)でした。
俳優とプロデューサーを兼ねるのは、1本なら作れるんです。でもそれだとプロデューサーと名乗ってはいけない気がしたし、名乗ったからには絶対に3本は作るぞ、という思いでした」
河野さんは『水いらずの星』が3本目のプロデュース作品であり、さらなる新作『Polar Night』(23/磯谷渚監督)も公開を控え(12月15日公開)、高橋洋監督の新作についても資金集めに奔走している。3本は作るぞという当初の思いを早くもクリアするどころか、「1作作ると、次々にアイディアが出てくるし、この人(監督)とだったらこういう作品が作りたいとか、発想が溢れてきます」と語り、まさに製作にまい進している。
次作に取り組むに当たって考えたこと
矢田部「『水いらずの星』はどのような経緯で作られたのでしょうか?」
河野「次にどういうものを作るのかと考えたときに、今までより更に日本の映画製作者なのだということに意識が向いたのです。日本人としてどういう作品を作るべきかを考えました」
矢田部「それは何かきっかけがあったのですか?」
河野「もともと映画のビデオで壁一面埋め尽くされているような実家で、幼少期から洋画を自然と見る環境で育ちました。その後俳優として活動する中で海外映画祭で作品を紹介する機会を沢山得ることが出来ました。でも現地へ行く度、日本人の私以上に外国の方が日本について物凄く興味を持ってお話される事がとても新鮮だったし、自国の事を答えられない自分にかなり動揺しました」
矢田部「外国に留学をすると、単なるいち個人でも急に日本代表になって日本に関する質問に答えなければいけなくなって戸惑い、そして刺激を受けるという感覚に似ています?」
河野「近いかもしれません。当時は俳優しかやっていませんでしたが、今となれば洋画を見て育ってきた私が日本人として日本の映画産業と向き合う形で映画を作らねばならないと意識するきっかけだったかもしれません。つまり自分が日本に興味を持っていなかったのですよね。でも海外に出ると私は当然日本人。今はそこを見つめ続けないと映画と向き合えないと思っています」
矢田部「そこで河野さんが原作を選んで企画化したのですか?」
河野「いえ、違うんです。まず日本人として日本らしい土着的な美しい作品を作りたいと思いました。その時越川道夫監督の作品が浮かびました。『海辺の生と死』(17)の実景の美しさと、芝居の上手い下手を超えた次元での役者の存在が非常に印象的でした。越川さんがプロデューサーを手がけた『海炭市叙景』(10/熊切和嘉監督)も日本の暮らしの肌触りが伝わる傑作でしたし、これは私の勝手な解釈ですが越川さんの作る色んな国や文化の影響をちゃんと受けて、最後に日本に戻ってきた的作風が好きだったんです。監督の作る世界に日本人として入りたいと思いました」
越川道夫氏は、多様なキャリアを誇る映画人である。
配給会社スローラーナーの代表として多くの邦画の製作に関わり、内外の重要な作品を配給してきた。そして『アレノ』(15)で監督デビューを果たすと、毎年のように精力的に作品を発表していく。
落ち着いて粘りのある演出が特徴であり、『アレノ』や『海辺の生と死』に大いに感銘を受けた僕は当時勤務していた東京国際映画祭に連続して招聘したものだったが、突如として発揮された越川さんの監督としての実力に毎回驚かされてばかりだった。
『アレノ』の山田真歩、『海辺の生と死』の満島ひかりといった実力のある俳優たちをさらに上のステージに引き上げるような、人間としての核の部分を剥き出しにさせるような、役者の演出に定評のある監督だ。
矢田部「河野さん自身、ご自分が演じたいという役のイメージもあったのでしょうか?」
河野「(目鼻立ちがはっきりしているので)どうしてもいままで外見重視の役が多かったんです。自分の内面はまた異なるので、外見以外の面を表現したいと思っていました。そんな時に中島みゆきの『化粧』という歌を聴いて、こういう役を演じられたらなぁとは思っていました…」
矢田部「そんな中、越川監督に会うわけですね?」
河野「2021年の4月頃、知人を介して越川監督にお会いすることができました。繊細な部分もある悲しい女の役がやりたいと話しました。あとはお任せすると」
矢田部「具体的な原作名などは提案しなかったのですか?」
河野「いえ、内容はお任せしました。あとは、どう河野で遊んでくれるかが楽しいんです。なので後は監督にお任せしますとお伝えしました」
越川監督の出した答え
河野「越川さんにお会いしてから、およそ1年後に、脚本を受け取りました。それが『水いらずの星』でした。越川さんから、河野の外見も中身も成立させる役はこれしかないと言われました。どうしたら私という役者をそのまま生かせるのかと長く考えてくださったそうです」
矢田部「この戯曲については知っていたのですか?」
河野「作者の松田正隆さんは知っていましたが、この作品は知りませんでした」
『水いらずの星』は、劇作家で演出家の松田正隆氏が手がけた戯曲である。松田氏は映画界では名匠黒木和雄監督作品の原作者として有名な存在だ。2000年に松田氏が書き下ろしたこの2人芝居を観劇した越川監督は、戯曲のコピーを入手して繰り返し読んで余韻に浸り、作品を妄想したという。
矢田部「最初に脚本を読んで、どう感じましたか?」
河野「越川さんに脚本を渡されて、その場で読んだのです。そして号泣しました。息が、詰まりました」
矢田部「演じることに怖さはありませんでしたか?」
河野「今やらなければならない。やりたい。という思いだけでした」
『水いらずの星』の物語と現代的なリアリティー
四国の海沿いの町のスナックで、女が働いている。ある夜、男が店のドアの前に座っていることに気づいた女は驚く。2人はもともと佐世保で暮らしていた夫婦であり、離婚届こそ出していなかったが、事実上別れてから久しく、6年振りの再会だった。雨の中、行き場のない男を女は自宅に上げる。何故、今になって男は会いに来たのか、九州から四国に流れ着いた女の身の上に何があったのか、2人の会話の通じてそれぞれの過去が明らかになっていく。勤務していた造船所の閉鎖に伴い男は職を転々としたあげくに病を患っており、そして女も想像を絶する過酷な環境に身を置いていた。社会の底辺でもがく男女の姿が浮かび上がり、その先には全く意外な運命が待っていた…。
矢田部「やらなければならない、というのはどういう意味で?」
河野「(長考)ゼロに戻りたいという思いがありました。監督からは『壊れるけど大丈夫?』と聞かれました。自分としては、無名ながらに積み上げてきたものや、自分の像を1回ぶち壊す必要がありました」
矢田部「それは、覚悟を決めたということですか?」
河野「いえ、覚悟を決めたということではなく、壊してくれる人を探していたのだと思います。その壊してくれる人が、越川監督であり、この女役だったのでしょう」
矢田部「造船所を巡る話や2人が陥る状況、あるいは場末のような雰囲気に、どこか日本の70年代を思わせる背景が伺えます。この作品の人物における現代的なリアリティーはどういう所にあると思いますか?」
河野「俳優の私が言及できるとするなら、男女の願いがこの映画には沢山込められていると思っています。とても普遍的なものです。愛する人に抱きしめてもらいたい。話を聞いてもらいたい。大丈夫だと言ってもらいたい。側にいてもらいたい。どんな姿になっても愛していてほしい。味方でいてほしい。劇中の2人が経験したことは非常に凄惨なものですが、誰しも自分なりの傷を抱えながら生きているのは過去も今も関係ない。普遍的なリアリティーそのものだと思っています」
河野さんは、クランクインの5日前に乳がんと診断されたという。ご本人が明らかにされているのでここに記す次第だが、その心境について質問することは非常に憚られるのは言うまでもない。
河野「『水いらずの星』の女性は体の一部を失いますが、それ以外にも失ったものはたくさんあります。女性であるが故の傷を抱えていることに意味があるのです。私は自分の病気を知ったとき、映画があってよかったと思いました。演じる女性を、もっと優しく抱きしめられるようになりました」
男性役は梅田誠弘
梅田誠弘さんは出演作『かぞくへ』(18/春本雄二郎監督)を東京国際映画祭に招聘した際に知己を得たが、友人に裏切られながらも信頼を止めない内面の表現が実に見事で、以来忘れられない俳優のひとりである。
『水いらずの星』の梅田さんは「動」の女(河野さん)に対して「静」の立場に見える男を演じるが、女に対して甘えるような態度を見せたり、女の驚くべき打ち明け話に耳をふさぐかのように1人でつぶやき続けたり、絶妙な演技を見せる。女に受け入れてもらいたいのに、自分は女を受け止めきれない弱さを露呈し、生と死の間をさまようような、現実と非現実を行き来するかのような不思議な存在として、深淵なるインパクトを残す。
矢田部「極めて濃厚な男女間の芝居が求められるわけですが、どのようにして梅田さんとの関係を構築したのでしょう?」
河野「梅田さんは私よりずっと実力がある方。それでも、簡単ではありませんでした。ある種の壁の存在を意識しながら、互いを探りながらもこじ開けていくような、そんな感覚です。
役柄としては、女が能動的に動き、男が受動的にリアクションをしていくという構造の劇なのですが、演じるに当たっては、私は常に梅田さんの動きを見つめ続け、むしろ受動的であったと言えます。その日の梅田さんの機嫌が悪く見えれば何があったのだろうと考え、そして穏やかだとどうしてだろうかなど、梅田さんが考えていることに常に神経を費やしていました」
愛憎という関係を超えた次元で感情を吐露し合う男女を演じるこの2人の俳優を見ていると、とても常人の想像が及ぶような世界でないと痛感させられる。そこにきれいごとが通用する余地などないだろう。ここには2人のプロのぶつかり合い、せめぎ合いがうずめいており、そのエネルギーが映画をドライブさせる。元は演劇だが、いわゆる演劇的演技ではなく、2人の掛け合いからは、まぎれもなく「映画」が立ち上るのだ。
越川監督の演出
矢田部「映画の脚本は舞台版とほぼ全く同じとのことですが、具体的にどのように準備されたのですか?」
河野「半年以上を役作りに費やしました。最初の3か月は、梅田さんとひたすら脚本を声に出して読む『ホン読み』という作業を続け、この段階では感情を込めず、とにかく膨大な量のセリフを体に入れることに専念しました」
矢田部「方言のアクセントがとてもスムーズで、最初に見たときにお2人とも九州出身なのかと思ったほどです。これはどこの言葉ですか?」
河野「佐世保弁です。長崎弁とも少し違うんですよね。これもセリフを体に入れるとともに指導を受けながら身についていきました。そして3か月が過ぎてから、越川監督の事務所に集まって、劇中にある4つの場のリハーサルを繰り返していったのです」
矢田部「越川監督はどのように演出をつけるのですか?」
河野「具体的なことは何も言いません。監督が重視するのは『いま起きていることが全て』ということなんです。とにかく『今』に集中するということ。リハーサルを通じて、一度たりとも同じ演技をしていません。これは断言できます。『今』を意識すること。なので、もはやどういうことをしようとも思わず、目の前の梅田さんを見つめるしかないのです。
結果、撮影が始まっても、俳優の準備が出来るまでカメラを廻しません。そして、撮影ができるくらいに演技が現在性に肉薄した時に『映画の神様が降りた』瞬間が訪れ、その時にはじめてカメラが廻るのです。これは監督はじめ、現場全体が一斉に『今ならいける』というその瞬間を感じていたはずです。そして、神様が降りてくるタイミングで、何故か体温がグッと上がったのを覚えています。
撮影後のインタビューで、カメラマンの髙野大樹さんが『やっぱりお芝居の力ってすごいな』とおっしゃっていて、本当にこの一言に尽きると思います。梅田さんは『こんな贅沢な経験はもう一生出来ないだろう』と言っていました。徹底的に芝居を追及した結果芝居ではなくなった現場、だったということかもしれません」
『水いらずの星』は、そのほとんどがアパートの1室を舞台とする二人劇だが、カメラの向きが的確に切り替わることにより、演劇の映像化であることをほとんど意識させない。眼前にあるのは、優れた俳優/人間が絡み合う映画そのものだ。
矢田部「複数の角度で会話が見られるということは、同じシーンを別角度で繰り返し撮影したということですよね?」
河野「カメラは1台でしたので、同じ場面を長廻しで何度も撮りました。同じ演技を繰り返すわけではないのですが、不思議に、答えが分かる瞬間があるんですよね…」
矢田部「この撮影を通じて、役者としての河野さんが得られたものは何でしょうか?」
河野「本当に面倒なことに、本来の自分に一番近い役だったのですよね。外見にコンプレックスを持っていることや悲しみや傷、孤独を抱えている面だけではなく、男と戯れているような面も含めて自分に似ていました。なので、これが出来て満足ということではないのですが、やっとこの役を経て少しだけ、『俳優です』と言えるようになった気がします」
プロデューサーとしてのこだわり
矢田部「撮影中に、プロデューサー的な動きはあったのですか?」
河野「映画としても私が演技に集中することが大事なので、撮影中のプロデューサー業は最小限に留めることを現場が考慮してくれました。撮影後のポスプロ(仕上げ作業)でも多少コメントはしましたが、基本的には全面的に監督にお任せしています。
ひとつ今回こだわったことが、梅田さんが演じる男が海から歩いてカメラに近寄ってくる冒頭の場面なんです。この作品では海と水が重要な要素になるので、海から男が現れるこの場面を私なりに重要視していました。しかしスケジュールと潮の関係でこのシーンが撮影されないかもしれない事態になったので、この場面だけは何が何でも撮りたい。とお願いしスケジュールを組み直していただきました。しかも、私の中でこのシーンは大好きな『パリ・テキサス』(1984/ヴィム・ヴェンダース監督)の冒頭でハリー・ディーン・スタントンが砂漠で歩くシーンへのオマージュでもあるのです!」
梅田さん扮する男が、画面の奥から手前(観客側)に向かって海の中から歩いてくるオープニングシーンはとても印象的だ。歩いているのに、なかなか、こちらに近づかないのが不思議であり、時間の流れ方が奇妙に思えてくる。ここから映画のリズムやペースが観客に伝わるという意味でも、絶妙な導入である。それにしてもヴェンダースへのオマージュだったとは!
矢田部「3作品は絶対作るぞという決意を超えて、もはやプロデュース業は自然に続けるという境地になっていますよね?」
河野「それは本当にそうですね。現在も複数の企画が進行しています。素敵な人と出会って、素敵な企画があったら、もうやっちゃおうという意識です。いまは、高橋洋監督の『夜は千の眼を持つ』を海外の共同製作として実現したいです。これを私がやり遂げたられたら、臆している人の希望に少しなれるかもしれないと。本当に私は人にも環境にも恵まれて映画を作らせていただいているわけで、希望を与えられる存在にならなければいけないとさえ思っています。私が続けることで、『河野でも出来るんだったら自分でも出来るんじゃないか』と思ってもらえたら嬉しいです」
海外との共同製作を目指す理由
矢田部「『水いらずの星』は国内の製作ですが、今後海外との共同製作を目指すというのはどういう理由でしょう?」
河野「VIPO(映像産業振興機構)が主催する国際プロデューサー育成プログラムに参加しているのですが、海外の企画マーケットで外国のプロデューサーや投資家と繋がる努力をしています。日本で製作するには、どうしても予算の限界がありますし、それはインディペンデントの自分が感じているだけではなく、日本の大手の方も同様に感じているのだということが分かって勉強になります」
日本の映画製作において、ある程度の予算を要する場合、ベストセラーや人気コミックが原作であることを求められることが多い。インディペンデントの映画作家が自分の企画で資金を集めることはとても難しいのが現状である。そこで、海外との共同製作を通じて国外でも資金を集め、製作の自由を確保していこうというのが、国際共同製作の狙いである。実に様々な障壁はあるが、国際共同製作の活性化に日本映画の未来がかかっていると言っても過言ではない。
河野「とはいえ、国際共同製作に私が関心を抱いているのは、予算面だけではないのです。総合的なマーケットの視点からも重要です。いまホラーコンテンツを見る世代って、20代前半から10歳前後のZ世代と、『リング』(1998/中田秀夫監督)を見ていた世代なんです。それは日本だけでなく、アジア全域でも同じことが言えます。日本人として、Jホラーを改めて強固な日本のオリジナル・ブランドとして打ち出していきたいですし、高橋洋監督『夜は千の眼を持つ』(84)がアジア圏に持つポテンシャルを更に開拓していきたいと思っています」
おわりに
#MeToo以降の女性表現者の地位向上への流れの中にいることを意識しますか?との質問に、「全く考えていないです」と河野さんは笑いながら答える。パンデミックによって自分で動かなければという意識が強くなっただけというが、次々と企画を実現させているそのエネルギッシュな姿勢には、本当に勇気を与えられる。
河野さんは製作者としての活動がますます盛んとなる中、『水いらずの星』で演者としても異次元の境地に達している。それも、元はといえば、自分の仕掛けである。しかし河野さんの場合は、単なるセルフ・プロデュース能力とは違う。作るべき映画の方向性を考え、信頼できる監督を指名し、具体的な企画内容も監督に任せ、もちろん演出も監督に任せ、そこで自分の最大限の力を発揮するという進め方は、役者兼プロデューサーとしては全く新しい形かもしれない。河野さんの活動は、多くの役者たちに刺激を与えるに違いない。
矢田部「最後に『水いらずの星』について言い残したことはありますか?」
河野「撮影、編集、美術、すべてが素晴らしいですが、とにかく芝居/演技を見てほしいです。すごくシンプルに、原点に立ち返った越川監督の演出と芝居の極限の境地、そしてそれを見逃すまいと追いつづけたキャメラの軌跡を見てほしい。芝居って何?と思っている方に、ぜひ見てもらえたら嬉しいです」
矢田部吉彦(やたべ・よしひこ)
仏・パリ生まれ。2001年より映画の配給と宣伝を手がける一方で、ドキュメンタリー映画のプロデュースや、フランス映画祭の業務に関わる。2002年から東京国際映画祭へスタッフ入りし、2004年から上映作品選定の統括を担当。2007年から19年までコンペティション部門、及び日本映画部門の選定責任者を務める。21年4月よりフリーランス。
寄稿:矢田部吉彦
編集:おのれい