よりよい未来の話をしよう

苦しい時代だからこそ見える豊かさがある。NPO抱樸 奥田知志理事長に聞く「希望のまちプロジェクト」

私たちは、どんな未来に生きていたいだろうか?

「頑張れ」という言葉と共に突き放されるよりは、ともに歩む「誰か」と助け合いたい。そんな風に感じないだろうか。

認定NPO法人抱樸(ほうぼく。以下「抱樸」)は、まさにいま、そんな「助けてと言えるまち」を作るべく奔走している。福岡県北九州市の元暴力団本部事務所跡地に計画する、「希望のまちプロジェクト」だ。抱樸はこれまで、地域社会の問題に向き合い続け、多くの困窮者を支援してきた。そんな抱樸が次に挑むのは、誰も取り残さないまちづくりだと言う。

この「希望のまちプロジェクト」という挑戦について、理事長の奥田知志さんにお話を伺った。

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「希望のまちプロジェクト」

抱樸が中心となり、北九州市社会福祉協議会や複数の団体で構成する「希望のまち推進協議会」などと連携して、暴力団本部事務所跡地に地域共生社会の拠点を整備するプロジェクト。拠点となる北九州市に位置する建物には、あらゆる相談にワンストップで対応する「よろず相談窓口」が常設されるほか、「子ども食堂」や「学習支援」「地域の方々の日常生活のサポート」「地域交流の場の提供」など、子どもからご年配の方までの全世代が、誰でも利用できる交流空間が整備される予定。施設内には「救護施設」(※1)も設置され、様々な状況にいる方の自立支援にもつなげていく。

「格差が広がるこの国で『ひとりも取り残されないまちを』つくりたい」との思いから、みんなに「居場所と出番」があり、それぞれが誰かの「ホーム」になれる場所にしたいとプロジェクトを推進。2025年春の開業を目指し、3億円を目標とした寄付を募集中(2023年5月16日時点の寄付総額、2億1,515万2,357円。うち、ふるさと納税5,096万4,489円)。

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※1 用語:生活保護法にて定められる施設で、身体上又は精神上著しい障害があるために日常生活を営むことが困難な方が入所し、生活扶助を行うことを目的とする。

NPO抱樸 奥田 知志理事長

奥田 知志(おくだ ともし)
NPO法人抱樸理事長、東八幡キリスト教会牧師。
1963年生まれ。関西学院神学部修士課程、西南学院大学神学部専攻科をそれぞれ卒業。九州大学大学院博士課程後期単位取得。1990年、東八幡キリスト教会牧師として赴任。同時に、学生時代から始めた「ホームレス支援」に北九州でも参加。事務局長等を経て、北九州ホームレス支援機構(現 抱樸)の理事長に就任。これまでに3700人(2022年12月現在)以上のホームレスの人々の自立を支援。

「個別支援」から「地域づくり」へ

北九州小倉地区の公園では毎週金曜日に炊き出しが行われおり、多くのボランティアが参加している。

抱樸は2023年で結成から35年を迎える団体だ。1988年に「北九州越冬実行委員会」として、野宿をする方にお弁当を配布するなどの活動を開始。2000年には「NPO法人北九州ホームレス支援機構」という名で法人格を取得し、ホームレスの自立支援を中心とした活動を展開する。しかし活動を通じて様々な人と出会うなかで、社会構造の変化による多様な問題に直面。活動の幅が広がったことに伴い、2014年には名称を「NPO法人抱樸」に変更し、より包括的な支援を実践していくこととなった。名称変更の背景には、社会構造および向き合う課題の変化があったと言う。

「2000年に『NPO法人北九州ホームレス支援機構』を始めたとき、私は『1日も早い解散』を目指していました。こういった問題解決型のNPOは、問題そのものがなくなったら必要なくなる。私たち地域住民や社会、行政がそれぞれきちんと責任を果たしていくようになれば、私たちNPOは要らなくなると思っていたんです。

それが2008年にリーマンショックが起きて、景気が悪くなったから不安定な人が増えたという単純な話ではなく、社会構造そのものが大きく変化していると気づきました。非正規労働者が増えていたり、共働きでも低賃金で『2人合わせて1人分』みたいな世帯が増えていたりといった状況が始まっていたんです。これにはショックを受けて、『これはすぐには解散できないぞ』と思いました。

それで2014年に、名前を『抱樸』に変えるんです。これは『目指すべき社会』を示した名称です。『樸』という字は、原木・荒木という意味。問題解決型の支援ではなく、条件を付けないでそのまま原木を抱きとめるような、そういう社会を作ろうという意味を込めました」

そこから改めて、経済的困窮のみならず、支援の必要な人に対し「何が必要か・誰が必要か」を考え、社会的孤立の問題にも向き合ってきた。しかし生活困窮者の自立を支援するなかで、「いまの社会が、自立して復帰したいものになっているか?」という疑問が首をもたげてきたそうだ。「希望のまちプロジェクト」の構想は、そのときから始まっていたと言う。

「ホームレスになったり失業してしまったりしたとき、もう一度働く意欲がどうしても湧いてこない。それは、個人の責任なんでしょうか? その状況を社会が生み出してるとしたら、地域社会から作り直さないといけない。そこから、まちづくりをしようと考え始めました」

あのとき追いかけなかった中学生。この場所で希望のまちを始めるに至った「宿題」

炊き出しの会場で食事をする参加者の方たち

まちづくりの実現にあたっては、NPOとは別に社会福祉法人抱樸を設立。それにより救護施設の運営が可能となり、「断らない支援」をさらに進めることができるようになる。次はまちづくりの拠点探しだと、候補地を検討していた2019年に飛び込んできたのが、北九州市に拠点を構える特定危険指定暴力団・工藤会(※2)の本部事務所解体のニュースだ。奥田さんは直感的に、この場所を希望のまち予定地とすることを決めたという。

「もう『絶対これや』と思って。私は講演で全国に呼ばれますが、工藤会の印象が強いのか『北九州って、怖いまちでしょ?』と言われちゃうんですよ。悔しくてね。工藤会の問題は、拠点がなくなったら終わりではなくて、その跡地で何を生み出すかも大事だと思っていました。『怖いまち』から『希望のまち』に変えていきたいと、この場所に決めました」

この場所にはもう1つ、奥田さんが活動初期から抱えていた「宿題」があったと言う。それは、奥田さんに大切なことを教えてくれた、ホームレス男性との思い出にもつながるものだった。

「1990年頃、北九州で中学生によるホームレス襲撃事件が多発しました。その被害男性が、ぽろっとこう言ったんです。『1日も早く襲撃をやめてほしい。けれど夜中の1時にホームレスを襲いに来る中学生は、家はあっても帰りたい場所はなくて、誰からも心配されていないんじゃないか。そういうやつの気持ちは、俺はホームレスだから分かる。帰る場所、ホームがないって意味では、俺と一緒だ』って。もうね、これが答えだと思って。そこから、経済的困窮を表す『ハウスレス』と社会的に孤立している『ホームレス』は違う、その両方を解決するのが抱樸だ、と言うようになりました。

希望のまち予定地を見に行ったときに思い出したのですが、その襲撃事件の現場が、まさに予定地から歩いて5分もかからないところだったんです。私は事件の後30年、ホームレスを追いかけ支援し続けた。でもいま考えたら、あのとき事件を起こした中学生はその後どうなったんだろう?って。

調べてみると、北九州市の中学校を卒業する生徒のうち、毎年100人くらい、高校に行かず就職もしない子がいるんです。これは想像だけど、高校にも行けず就職もできなかった中学生のうちの一部を引き受けたのは、もしかしたら暴力団だったんじゃないか。行けば歓迎されて、飯が食えて、しかも内輪では家族的な繋がりがあるでしょ。ホームになりうるんですよ。今回この場所に決めた理由のもう1つは、『子どもたちの受け皿や居場所がそこ(暴力団)しかない、そんな社会はもう嫌だ』という、30年前の私に課された宿題でした」

※2 参考:全国で唯一「特定危険指定暴力団」に定められる暴力団。「特定危険」は市民や企業を危険にさらす暴力団を取り締まる制度で、複数の暴力的要求行為に対する中止命令を経ない逮捕や、事務所の使用制限といった対応が可能になる。

責任も大勢で分担すれば良い。目指すのは「なんちゃって家族」

互助会の一環として行われる「偲ぶ会」。互助会では、先立ったお仲間を悼む場を年1回設けている。

希望のまちには目的が3つある。1つ目は「『助けて』と言えるまち」をつくること、2つ目は家族機能を社会化すること、3つ目はまち全体で子どもを育てることだ。

とくに2つ目の家族機能の社会化は、今後全国の地域社会で必要になってくると奥田さんは話す。日本全体の統計データを見ると、1980年代には大人と子どもが一緒に生活する世帯が6割を超えていたのに対し、2020年には3割程度に減少。また、最も多い世帯形態が、全体の約4割を占める単身世帯となり、大きく形が変わった。(※3)このことは、従来家族に任されてきた家事、育児、介護をはじめとする「ケア」という機能が、家庭内ではもはや担えなくなっていることにつながるという。そして、ケアし合う家族のいない人も増えてきている。

「これまで日本社会は、『家族で何とかしろ』と言ってケアの概念を家庭内に収めてきました。だけどいま、家族の形が変わってきている。その他の社会問題とも絡み合った結果、8050問題(※4)やヤングケアラー問題(※5)も現れました。

人によっては、家庭が牢獄だったという方もいます。親からの虐待で自ら身体を切ってうちに来た子もいっぱいいます。だから家族を取り戻そうと言うんじゃない。家族機能を社会化しよう、ケアを社会化しようと言いたいんです」

奥田さんが提唱するのは「なんちゃって家族」だ。限られたメンバーが互いに責任を持つ従来の少数精鋭型家族ではなく、質より量を重視し「お父さん・お母さんがそれぞれ10人いたって良い」と話す。責任を誰かに押し付けるのではなく、自分が抱えきれない責任を担うのでもなく、大勢で分担すれば良いという考えだ。この取り組みで希望のまちに事務局を構える予定もある「互助会」という組織は、この家族概念を体現するものだ。

「互助会は最初、ホームレスから自立した当事者だけの組織でした。それを地域に広げ、いまは加入者約270人の内、約100人が元ホームレスの人で、地域の方、ボランティア、スタッフも加入しています。バス旅行に行ったり、サロンで一緒にお茶を飲んだり、極めて日常的なことをやっています。また互助会の最後の役割は『お葬式を行うこと』。お葬式を執り行い追悼の場を設け、みんなで見送ります。お葬式って、普通は家族しか担わないですよね。そこで『お葬式を行った人が家族だ』と言って、どんどん家族の概念を広げてきました。

その結果、この地域では高齢単身者に対する賃貸住宅の貸し渋りがゼロになりました。普通は、亡くなったときに引受人がいないことを理由に、高齢単身者にアパートを貸さない大家さんが多いんです。日常生活の担保という問題解決にもつながっています」

※3 参考:内閣府男女共同参画局「令和4年版 男女共同参画白書」https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/gaiyou/pdf/r04_gaiyou.pdf
※4 用語:80代の親が、自宅にひきこもる50代の子どもの生活を支えるなどし、経済的にも精神的にも行き詰まってしまう状態のことを指す。
※5 用語:「本来大人が担うと想定されている、家事や家族の世話などを日常的に行っている子ども」を指す。

変わるのは周辺地域だけじゃない。企業の変化や他地域への波及も期待

2023年3月、長崎市で開催された「希望のまち」に関する講演会。「希望のまち」を応援する長崎有志の会の協力で、奥田さんと哲学研究者永井玲衣さんとの対談が開催された。

ここまで聞くと、希望のまちはあくまで周辺地域だけが関係するものとイメージしないだろうか。しかしそんなことはない。希望のまちにはコワーキングスペースが設けられ、遠方居住者がリモートワークで利用することも可能だ。複数拠点で仕事をしやすくなった現在、希望のまちを利用することで、企業の価値観変容にもつながると奥田さんは話す。

「風光明媚なところで仕事をするんじゃなくて、希望のまちのコワーキングスペースを使うことで、世の中には本当にいろんな人がいると分かると思います。虐待の末なんとか20歳まで生き延びたような子たちが、当たり前のようにここにはいるわけですよ。そういう現実を横目でも見ながら仕事をすると、企業の目指すものが変わっていくんじゃないかと思って。希望のまちと出会い、その現実を見ることで、企業のマーケティングも変わるかもしれません。

また、誰だって、親に1回もお弁当を作ってもらったことがない子どもたちと話すと、『自分はたまたまずっと弁当を作ってもらえた、恵まれた立場だったんだ』と感じると思います。『もし自分が1度もお弁当を作ってもらえない環境で育っていたら、自分はいまこの仕事してるだろうか?』って。そういう気づきを持つだけでも、人間性は深まりますよね」

この希望のまちは「大いなる実験」だとも語る。今後他地域への波及効果も期待しており、実際に他県で希望のまち建設を目指す市民主導の動きもあるそうだ。

「この希望のまちは第1号だと思っています。人間って誰かからしてもらったことを、誰かにしてるだけなんです。誰かに勉強を教えてもらった経験は、次の世代に勉強を教える力になる。こういった気概をつなぐ場は全国各地で絶対ニーズがあります。だから希望のまちでやって見せて、『これいいね、うちのまちでもやりたい』となったらまねをして欲しい。うまくいったことも失敗したことも全部出すから、各地域、希望のまち第2号や第3号を作ってほしいと思っています」

人間、貧すれば考え、そして出会う。暗闇だからこそ見える希望

月1回、希望のまち予定地周辺の清掃活動も行われる。終わった後、参加したボランティアの方も一緒にくつろぐお茶会の様子。

いまの社会は、「自己責任」で片付けられてしまうことがたくさんある。その一方で、自己責任論による多くの傷が見えてきたがゆえ、互いに助け合うことの重要性を叫ぶ動きもあると感じる。まさに「助けてと言えるまち」を作っている奥田さんは、そのような社会の動きをどう見ているのだろうか。

「いまは、社会全体がしんどい状況になってきていると思います。孤独や孤立、貧困といったものが他人事じゃなくなってきている。

私たちは、2020年にクラウドファンディングで1億1500万円を集め、コロナで大変な人に支援付きの住宅を提供しました。参加した人数は1万289人、単純に言ったら1人1万円の寄付です。この規模のクラウドファンディングで言ったら、平均単価が安いそうです。

支援者からのコメントを読んでその理由が分かりました。『私も生活は大変だけれど、やっぱり新しい社会を作りたい。いざとなったら自分も行ける場所を確保したい』という、主体的な声が多かった。みんな他人事じゃなくなってるんです。『可哀想な人を助けてあげよう』ではなく、『もしものときには、私もそこに行こう』と、苦しいなかでもできる金額から支援をしてくれた人が多かったんですよね。国全体が貧しくなっているし、余裕がなくなって、困窮ということに対する当事者性が広がってきているんです」

孤独・孤立・貧困。それらを目前に抱く人々が増える社会には、深い暗闇を見てしまいそうだ。しかし奥田さんは、「いま、しんどい社会だからこそ見える希望があるんじゃないか」と伝える。

「『貧すれば鈍する』と言うけれども、貧すると人間はね、考えるよ。そして貧すると人間は出会うよ。心細いから。

聖書の言葉で『光は闇のなかに輝く』というものがあるんです。闇がなくなったら光が来る、夜が明けたら光が戻る。普通はそう考えるけど、現実は違って、闇のなかに光は輝いていると言うんです。いま、貧しくてしんどい闇の時代を生きているけれども、だからこそ新しい価値が生まれていくと私は感じるんですよね。

高度経済成長期を生きてきた世代は『あの頃を取り戻そう』なんて言うけれど、この暗闇のなかにこそ、ギラギラした高度経済成長期には見えなかった大事なことが見える。いまがそのチャンスなんじゃないかって。何もなくなったからこそ、豊かになった部分もあるんじゃないかという気がしています」

「希望のまち」の住人になりませんか?

希望のまち建設予定地では、地域に開かれた様々なイベントなどを開催している。写真は2023年1月に開催された、「希望のまち 竹あかり」の様子。

奥田さんが「大いなる実験」と語る「希望のまちプロジェクト」。その住人は、参加の形を問わないそうだ。寄付やボランティアで協力するも、ふらっと遊びに行くもよし。仕事場として利用するのもよいだろう。

「希望のまちプロジェクト」は、2025年春の開業を目標に進行している。あいにくの資材高騰で当初予定していたデザインから設計を練り直しているそうだが、「助けてと言えるまち」は着実に実現に近づいている。

私たちの生きる未来が、互いに助け合える世界であるように。その願いを込めて、寄付という形からこのプロジェクトに参加してみるのも良いかもしれない。抱樸では引き続き、プロジェクトへの寄付を募集している。あなたも自分なりの形で、住人になってみてはいかがだろうか。

 

取材・文:大沼芙実子
編集:日比楽那
写真:認定NPO法人抱樸提供