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惨事は克服できるか:テロを描く最新フランス映画に見る魂の回復の道のり

2015年11月13日、金曜日。

パリの複数の地域で同時に無差別テロ攻撃が発生した。130名の死者を出す、フランス史上最悪のテロ事件であった。イスラム国/ISILに繋がる実行犯たちは早々に特定され、数日のうちには逮捕あるいは死亡に至ったが、事件はフランスに暮らす人々にとてつもなく深い傷を残した。

このパリの事件を扱う作品が、続々とフランスの映画館で公開されている。テロ直後に生存者による証言を中心としたドキュメンタリーが作られるなど、これまでにも映像化はされてきたが、事件から6年以上の時を経て、あらためて公開が相次いでいる。2021年に本事件に関する一連の裁判が行われたことや、コロナによって映画製作が中断したこと、そしてもちろん事件を多少は客観視できるようになるために年月が必要であったことがその理由として想像できる。第2次大戦は言うに及ばず、NYの9.11テロや日本の東日本大震災など、甚大な被害をもたらした出来事が映画で取り上げられることは多い。事態を理解する試みである時もあれば、物語の力によって魂の回復を図る試みであることもある。記録に残して後世に伝えるという役割も大きいだろう。心身の傷がそう簡単に癒えることはない。様々な意味を抱えながら、映画が作られ続けていく。

現代フランス映画は自国を襲ったテロをいかに描いているだろうか。

『パリ同時多発テロ事件:そのとき人々は』

まず、事件の概要が良く分かるのが、Netflix製作の『パリ同時多発テロ事件:そのとき人々は』(2018)というドキュメンタリー作品である(現在もNetflixで鑑賞可能)。2015年11月13日の21時台に、何が起きたか。

当日の夜には、パリ北部に位置する8万人収容の巨大スタジアムにおいて、サッカーのフランス対ドイツ親善試合が組まれていた。親善試合とはいえ、ライバル国との世界最高レベルの対決にパリ市民が期待を膨らませていたのは言うまでもない。フランス大統領も観戦に来場していた。そして、21時のキックオフからしばらくして、スタジアムの外で爆発音がする。爆竹であろうと多くの人が思った直後、2度目の爆発音があり、プレイヤーは一瞬動作を止める。異常性が察知されるが、数万人の観客のパニックを恐れた警備担当者は、スタジアム内に残った方が安全であろうと判断し、試合の続行を指示する。このようにして、恐怖の一夜は始まった。

時をほぼ同じくして、パリ北部のカフェで銃の無差別乱射事件が発生し、実行犯たちは徐々に南下しながら、複数のカフェやレストランで乱射テロを続けていく。『パリ同時多発テロ事件:そのとき人々は』は、現場に居合わせ、幸運にも生き残った人々の凄惨な体験の証言で構成される。そして、警察や消防署の隊員たちも、当時の状況を伝えていく。カフェやレストランで起きた出来事を見ていくだけで、手足が冷たくなっていく感覚に襲われる。

そして、この夜の最悪の事態が、バタクランという劇場で起きた。劇場では、ハードロックバンドのライブを行っていた。金曜の夜にライブで盛り上がろうと楽しみに出かけた人々の証言が次々に映される。会場は満員の観客で溢れ、ライブは熱を増していく。そして中盤、乾いた破裂音が続き、演出にしてはおかしいと観客が気づき、バンドは演奏を止める。会場は殺戮の場と化した。1階席では逃げ場を失った数百人が無差別銃撃の対象となった。2階席では、数十名が屋根裏のスペースに隠れた。そして別の数十名は、実行犯の人質として奥の通路に集められた。外では警察隊が突入を準備する。

生存者の証言は、観る者に安易な感想を許さないほどの恐怖と重みに満ちており、画面を見続けるのが息苦しいほどである。しかし目を背けるわけにはいかない。貴重な証言を残してくれた人々の勇気に報うためにも、作品を見て、死者を悼み、暴力を憎み、そして地獄の中で協力し合った生存者たちが互いに信じた人間同士の愛を、自分も信じなくてはいけないという厳粛な気持ちになる。

『One Year, One Night』

バタクラン劇場の屋根裏スペースに隠れて生き延びた青年が書いた自伝を元に制作されたのが、『One Year, One Night』(22)である。2022年のベルリン映画祭のコンペティション部門でプレミア上映されているが、2022年11月上旬現在、まだフランスでの劇場公開は実現していない。

ラモン青年は恋人の女性のセリーヌとライブに出かけ、テロに遭遇し、生き残り、帰宅する。しかし翌日からラモンはトラウマに苦しめられる。パニックに襲われ、セリーヌに介抱される。周囲にもバタクラン劇場にいたことを知らせており、仕事も辞めて、家に閉じこもる。セラピーに行き、体験を文章にしたらどうだろうと勧められ、書き始めるが筆は進まない。一方のセリーヌは、事件を心の中に封印し、周囲にも知らせず、自分の人生を先に進ませようとする。しかし、やがてラモンの自分勝手な言動がエスカレートし、セリーヌの手に負えなくなっていき、ふたりの仲は危機を迎える。

『One Year One Night』Copyright Studio Canal

同じ惨劇をくぐり抜けた2人の人間が、それぞれ異なる捉え方をし、相容れなくなっていく厳しい運命が描かれる。実際の体験談であるだけに真実味には事欠かない。(劇中には描かれないが)実際の「ラモン」は自伝を完成させ、さらに映画化が実現したのが本作ということになるが、生々しい感情が凝縮されている。原作者は現在どうしているだろうか。文章化することで、いささかなりとも救われたであろうか。惨事から6年経って発表された映画を前に、生存者が抱えるトラウマの厳しさが観る者の心に重くのしかかる。

『November』

連続テロが起きた11月をタイトルとする『November』(22)は、13日夜の事件発生から5日間、不眠不休で実行犯を追った警察を描く実録型フィクションドラマである。2022年10月5日にフランスで劇場公開された。メジャーな犯罪映画で実力を発揮する監督が演出を手掛け、スター俳優が起用された商業映画だ。

商業映画とはいえ、題材が題材であるだけに、アクションエンタメに流れることは無い。緻密なリサーチに基づいていると思われ、警察の捜査の過程が詳細に描かれていく。プレッシャーに押しつぶされそうな中、焦燥感に駆られながら捜査に当たる警察官たちの行動に切迫感が溢れ、キレのある編集で緊張を紡ぐ監督の手腕が冴える。1人の捜査官が、スタンドプレーで捜査を進めた結果、逮捕した容疑者が警察の潜入捜査官であったというミスを犯してしまう。映画を盛り上げるための創作エピソードであったかは不明だが、実際の出来事であったとしても不思議でない、捜査当局の焦りを象徴するエピソードとして機能している。

その捜査官は、自分のミスを挽回すべく、実行犯の潜伏先を知っているという女性の証言の裏付けに奔走する。テロが継続する可能性がまだあるとの情報が届き、女性の証言を信じるかどうかに捜査の運命が託され、緊迫感はピークを迎えていく。

『November』Copyright 2021 RECIFILMS - CHI-FOU-MI PRODUCTIONS
- STUDIOCANAL - FRANCE 2 CINEMA – UMEDIA

エンタメに流れることはないとはいえ、それでもこれはアクション映画として存分に「楽しめる」作品であり、結末を知っていても(知らない人はいない)手に汗握る出来栄えである。フランスで警察がいつも好かれているとは限らないが、事件当時は英雄として賞賛され、その勇気は映画に丁寧に描かれている。商業映画で事件を相対化することも、心の傷を癒すことに繋がるかもしれない。そのような映画の効果も感じさせる『November』も、事件から7年後の公開だ。事件を様々な規模で振り返り、製作するには、やはり6年から7年の歳月が必要であったということだ。2022年の公開ラッシュに必然性が見えてくる。

もっとも、事件当時を知るパリの知人(日本人)は、パトカーのサイレンを聞くと、街がサイレンの音で溢れたあの夜を思い出して今でも恐怖に駆られ、本作を観ることに躊躇してしまうと語っている。そんなに簡単なことではないのだ。

『Paris Memories (仏題:Revoir Paris)』

テロのレストラン襲撃をベースにしつつ、直接的に2015年の事件に言及しないフィクションとして作られたのが、『Paris Memories』(22)という作品。『裸足の季節』(15)の脚本や『約束の宇宙(そら)』(19)で知られるアリス・ヴィノクール(ウィンクール表記もあり)監督の新作であり、2022年のカンヌ映画祭「監督週間」に出品された。9月7日にフランスで公開され、絶賛で迎えられている。

中年女性のミアが、雨宿りのためにレストランに入る。楽しそうに食事をする他の客たちを微笑みながら眺め、トイレに行く。席に戻ろうとした時、重く激しい銃声が鳴り、客が次々と撃たれていく。ミアは地面に伏せ、死んだふりをしながら、じりじりと匍匐前進して出口を探す。数年後、母の元で療養していたミアはパリに戻る。レストランに入ったことは覚えているが、事件の記憶を無くしている。当のレストランを訪れてみると、生存者や被害者遺族が定期的に集まっているらしいことを知る。改めてその会に赴くと、ある女性から「自分だけ助かろうとしてトイレに鍵をかけて閉じこもり、他の人を入れなかった卑劣なあなたがこの場にいる資格はない」と激しくののしられる。衝撃を受けたミアは、懸命に記憶を取り戻そうとする。

ミアが閉じてしまった記憶の扉がひとつひとつ開いていく過程で、彼女の凍った魂が癒えていく様がとても繊細に描かれていく。実話をリアルに描くばかりが映画ではなく、本質を丁寧に伝えることに深い注意を凝らしたフィクションの力が発揮されている作品である。

長い時間は割かれていないが、冒頭のテロ攻撃の場面の恐ろしさは筆舌に尽くし難いものがある。カメラは伏せているミアの目線から離れず、狭窄した視野の中で実行犯の姿は足元しか見えない。ゆっくりと確認するかのように移動する実行犯が発砲する銃声の激しさは、映画の観客にもトラウマになりそうなほどだ。前述したドキュメンタリーでも音の記憶が最も体に残っていると語る生存者がいたし、パトカーのサイレンに反応してしまう知人の発言からも分かるように、音の恐ろしさを演出した本作のスタッフ陣は本質を見誤っていないことになる。

『Paris Memories』Copyright Pathé Distribution

ミアはかすかな手がかりを頼りに、自分の記憶を取り戻そうとパリ中を奔走する。そのかすかな手がかりとは、誰かが自分の手を握っていてくれたという記憶。人の手の感触から伝わる、確かな感情。その場にたまたま居合わせただけなのに、魂で通じ合う絆が築かれた相手。その人はどこにいるのか。肉体という実存と魂の関係のあり方の探究が本作の本質だと見てもいい。

そしてミアは、現場にいなかった夫と気持ちがすれ違ってしまう。『One Year One Night』では、同じ現場にいたはずの2人の気持ちがすれ違っていくのと対称的である。どちらの状況も切実であり、作品を重ねて見ていくと、極限状況に置かれた人間心理の複雑さが重層的に浮かび上がっていく。

『You Will Not Have My Hate』

生存者の経験ではなく、遺族の立場から事件を見つめた作品が『You Will Not Have My Hate』(22)である。バタクラン劇場で妻を亡くした実在のアントワーヌ・レリスという男性ジャーナリストをモデルにしている。2022年のロカルノ映画祭でプレミア上映され、11月2日にフランスで劇場公開されている。

バタクランのライブに出かけた最愛の妻と連絡が取れず、やがて死亡が確認され、アントワーヌは幼い息子と2人残されてしまう。遺体と対面したアントワーヌは打ちひしがれるが、その夜、発作的にパソコンに向かい「お前たちに私の憎しみは与えない」という文章を書き、Facebookに投稿する。投稿は話題となり、有力紙の一面に転載される。実際に起きたことである。

妻を殺害した実行犯に向けた文の要旨は、「憎しみによる惨劇を起こしたあなたたちに、私は自分の憎しみを返すことであなたたちを満足させることはしない、私の憎しみは与えない、息子には生きることの素晴らしい面を教えて育てていく、そう、あなたたちには息子の憎しみも与えることはしない」というものである。

真に崇高な宣言であり、報復による暴力の連鎖を断ち切ろうとする、人間の尊厳を保つ偉大な発言だ。世論は文章に熱く賛同し、アントワーヌは内外のテレビに出演するようになる。しかし、この考えは理想論でもあり、綺麗事であるとも言える。日々が過ぎるごとに妻の不在の痛みは増し、幼い息子の育児ものしかかり、アントワーヌは自分の発言の重みに押しつぶされていく。

『You Will Not Have My Hate』Copyright TOBIS Film GmbH

『Paris Memories』の好評に比べると、『You Will Not Have My Hate』に関して目にした批評は、賛否が分かれているようだ。アントワーヌの宣言と行動のぶれに観客も不安定さを感じるのかもしれない。しかし、それもやむを得ないことではないかとも感じる。アントワーヌの心にすんなりと映画に都合のよい着地点が見つからないのは(あるいは着地点が見つかったように映画的に描かざるを得なかったのは)、その難しさこそが現実なのではないかと思うからだ。むしろ『Paris Memories』の方がドラマを綺麗にまとめてしまった感もあり、その点『You Will Not Have My Hate』の曖昧さこそ誠実だと見ることもできる。

映画の評価がどうであれ、「お前たちに私の憎しみは与えない」というタイトルの崇高なメッセージこそが全てであり、このひと言を世界に広めるためだけでも、今作の存在価値は計り知れないと思えるのだ。

『En thérapie』

映画ではないが、フランスとドイツのテレビ局であるARTEが製作したドラマシリーズ『En thérapie』(21〜)も重要だ。テロ直後のパリにおいて、セラピストの元に通う患者たちの姿を通じ、事件が人々の心に残した傷を描くドラマである。とはいえ、それほど簡単に要約できる内容ではない。シーズン1は、それぞれが約25分間と短めながら、35ものエピソードで構成されている。タイトルの意味は、ずばり「セラピー中」。ベテランのセラピストであるフィリップと、4組の患者たちの会話が中心となり、ドラマはほぼすべて、オフィス兼診療所の部屋の中で展開する。ひとつのエピソードが、1回のセラピーに充当している。

『En thérapie2』Copyright Les Films du Poisson

テロが起きたのが2015年11月13日の金曜日だが、ドラマはその週末が明けた11月16日の月曜日の時点からスタートし、連日異なる患者がフィリップを訪れる。月曜日には、48時間不眠でテロ被害者の手当てに従事した女性の外科医。火曜日には、現場突入の最前線にいた特殊部隊の男性の警察官。水曜日には、交通事故で両腕を骨折した16歳の女性の水泳選手。木曜日には、ふたり目の子どもの妊娠に際して産むかどうか迷っている妻とその夫。テロに直接関与している患者もいれば、さほど関係の無さそうな患者もいる。フィリップを信頼している患者もいれば、はなから疑ってかかっている患者もいる。いずれにせよ、あらゆる患者に対してフィリップは冷静に対処していかなければならない。

そして金曜日は、疲弊したフィリップが、かつての師匠格で、現在は半ば引退した女性のセラピストのもとに、自らが通う。そこでフィリップはすべての毒を吐き出す。

もう少し明かすと、月曜日の女性の外科医はフィリップへの愛を告白し、フィリップは職業倫理の壁に悩む。火曜日の警察官はマッチョ志向があり恐怖のトラウマを認める気が無く、水曜日の少女は自分からトラックに突っ込んだ疑いがあり、木曜日の夫婦の妻は診療中に出血し流産してしまう。これでまだほんの序盤なのだが、1度見始めると止められない。

医者と患者の間の事情や立場が目まぐるしく変わり、フィリップの私生活も巻き込まれる。全てがセリフに完璧に書き込まれ、激しい感情の起伏を経る人物たちを役者たちが驚異的な説得力で演じていく。映画がニュアンスを伝える場であるとしたら、テレビドラマはセリフで全部説明しようとするが、説明しきることをネガティブに捉えていた偏見が今作では変わる。セリフの応酬で話題の主導権が瞬時に入れ替わり、その果てに、大きな物語が見えてくる。

それは、大小を問わず、あらゆる個人的な心理は、社会の大きな動きと無縁でいられないという物語に他ならない。大規模テロという未曽有の事件が直接間接に人々の心に残した影響を、精神分析という場を用いて、固くもつれた糸を根気強くほどいていくように、丁寧に描いて見せる。近道はないという状況を描くのに長尺のドラマほどふさわしいメディアはないだろう。継続的な対話や会話こそが重要で、他者と通じ合うことに魂の治癒のわずかな可能性を見出して行こうという、希望の物語である。

しかしフィリップの涙ぐましいまでの忍耐と根気は、現代社会と向き合うことの大変さを痛感させる。シーズン1の最後に彼のたどり着いた先は、安住の地ではない。テロの影響を描いたシーズン1に次ぐシーズン2で描かれるのは、コロナに襲われた社会である。

シリーズを演出しているのは、『最強のふたり』(11)や『セラヴィ!』(18)などを手掛け、フランスのヒットメーカーとして知られるオリヴィエ・ナカシュとエリック・トレダノの監督コンビ。得意とするコメディー色を封印したが、広い観客層に訴えながら安易に流れない彼らの一流の演出術を如何なく発揮し、驚異的に緊張が持続する深刻な会話劇を、見応えのあるもの仕上げるという芸当に成功している。役者ではなく、役者という人間そのものに迫ろうという彼らの姿勢がなせる技だろう。テロを通じて人間を見つめるドラマの集大成的作品であるといっても過言ではない。

おわりに

映画によって心の真の傷が癒えることは無いだろう。真の悲劇は、映像化できない。しかし、事態の断面を記録し、風化を防ぐ役割はあるかもしれない。あるいは、共感を寄せる入り口を示してくれることもあるかもしれない。真実であるかもしれない物事の一端を見せてくれるかもしれない。無関係の者に追悼の心を持ち続けさせてくれる役割も果たせるかもしれない。いや、無関係の者などいないのだと意識させてくれるかもしれない。悲劇を相対化することが心の強化に繋がるかもしれない。そして物語そのものには、治癒の力があるはずだ。

2022年に登場したパリ同時多発テロを描く映画の数々は、そんな映画の力を思い出させてくれる。

矢田部吉彦(やたべ・よしひこ)

仏・パリ生まれ。2001年より映画の配給と宣伝を手がける一方で、ドキュメンタリー映画のプロデュースや、フランス映画祭の業務に関わる。2002年から東京国際映画祭へスタッフ入りし、2004年から上映作品選定の統括を担当。2007年から19年までコンペティション部門、及び日本映画部門の選定責任者を務める。21年4月よりフリーランス。

 

寄稿:矢田部吉彦
編集:おのれい

 

(注)
本コラムに記載された見解は各ライターの見解であり、BIGLOBEまたはその関連会社、「あしたメディア」の見解ではありません。また、文中で紹介した映画とドラマ(Netflix作品以外)の日本公開は未定です(2022年11月17日現在)