よりよい未来の話をしよう

子どもたちの未来に伴走する、認定NPO法人カタリバ「キッカケプログラム for ヤングケアラー 」

このところ「ヤングケアラー」という言葉を耳にする機会が一気に増えた。そう感じる人は、筆者だけではないだろう。ヤングケアラーとは、一般に「本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子ども」とされている。家庭において年齢に見合わない重い責任や負担を負い、本来子どもとして享受できるはずの時間を家事や家族の世話などに時間を使っている子どもたちが、日本にはどうやら相当数いるようだ(※1)。

ヤングケアラーの実態調査として、2021年、厚生労働省において文部科学省と連携し初めて全国調査(※2)が行われた。その中では、世話をしている家族が「いる」と回答した子どもが、中学2年生では5.7%、全日制に通う高校2年生では4.1%であるなどの実態が明らかとなった。2022年4月に発表された2回目の全国調査(※3)の結果では、小学生でもヤングケアラーとして生活している子どもの実態が見え始めた。全国350校を対象に行った調査では、ヤングケアラーと思われる子どもがいる学校は全体の34.1%、「家族の世話をしている」と回答した小学6年生は6.5%であるという数値が明らかになった。

日本国内に課題として存在していることは明らかになりつつあるものの、まだまだヤングケアラーについて馴染みがないと感じる人も多いのではないだろうか。そこで、実際に支援プログラムを提供している、認定NPO法人カタリバ(以下「カタリバ」)の加賀 大資さんにお話を伺った。

(※1)厚生労働省「子どもが子どもでいられる街に。〜みんなでヤングケアラーを支える社会を目指して」https://www.mhlw.go.jp/young-carer/
(※2)三菱UFJリサーチ&コンサルティング「令和2年度 子ども・子育て支援推進調査研究事業 ヤングケアラーの実態に関する調査研究 報告書(令和3年3月)」https://www.murc.jp/wp-content/uploads/2021/04/koukai_210412_7.pdf
(※3)株式会社日本総合研究所 「ヤングケアラーの実態に関する調査研究(2022年4月)」 https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=102439

認定NPO法人カタリバ 加賀 大資さん

「ヤングケアラー 」という名前がついて、課題が見えてきた

カタリバが提供しているヤングケアラー支援の取組みについて、教えてください。

2022年1月から、「キッカケプログラム for ヤングケアラー」というオンラインプログラムを展開しています。もともと2020年から、「キッカケプログラム」という、経済的困難さを抱える家庭へパソコンとWifiを貸与し、学びの環境を整え、学びの機会と学びにオンラインで伴走するプログラムを実施していました。この「キッカケプログラム」という土台に2つの要素が付加されたのが「キッカケプログラム for ヤングケアラー」です。その要素の1つは「ピアサポート」と呼ばれる、ヤングケアラー同士の語り合いの場をオンライン上で開催する取組みです。もう1つは、ケアマネージャーという専門家に入ってもらい、ヤングケアラーの子とそのご家庭に向けた相談支援ができる場を提供する取組みです。「ピアサポート」には元ヤングケアラーの方や、いまでも家族のケアをしているような大学生にボランティアで入ってもらっています。

「キッカケプログラム for ヤングケアラー 」の概要
出典:https://kikkake.katariba.online/yc

このプログラムを実施するに至った経緯は、どのようなものでしょうか?

これまでカタリバで提供してきたプログラムは、「困窮世帯向けの総合風邪薬」のような汎用性の高いものだったのですが、ヤングケアラーの子たちには「ケアの負担」という物理的な問題や「ケアに関する不安」などの心理的な問題が発生しているので、そこに対して直接効く薬を追加しなければならない、と考えたのが始まりです。
僕は元々、カタリバの別のプログラムを担当していたのですが、その中にも「いま思えばヤングケアラーだったな」という子どもたちがたくさんいました。たとえば、約束の時間に遅れてくる生徒がいて、遅れた理由を訊ねると「妹のご飯を作っていた」と言うんです。そのときは、「そうなんだ。いいことだね、偉いね」と言っていました。ですが、いま振り返ると、その子はそうせざるを得なかっただけなんですよね。それを褒めてしまうと、「これは当たり前なんだ」と子ども自身がその負担に納得してしまうんです。彼らも僕らも、本当はその子が「子ども」として過ごせたはずの時間を奪われていることに気づけていませんでした。最近、「ヤングケアラー」という言葉にスポットが当たるようになり、徐々に課題が明らかになってきました。その定義を通してみると、その子たちが置かれている環境は当たり前な環境ではなく、子どもが負担するには重すぎる家事や家族の世話などを担っており、本来子どもの育ちに必要な時間や、心身に対して大きな影響を及ぼしていることが1つの課題なんだなと思えてきたんです。

参加する子どもたちは、どのような経緯で応募してくるのでしょうか?

自分で調べて応募してくる子もいますが、ヤングケアラーの実態調査を行っている自治体と連携して、子どもたちにこのプログラムを周知してもらっているので、そこからの流入が多いです。あとは、「キッカケプログラム」に利用登録している困窮世帯の中には、お世話をしなければならない家族を抱えている状況も多く、ヤングケアラーである可能性が高いケースが見受けられます。これらの家庭や子どもたちは、自覚していない場合が多く、丁寧にヒアリングや見立てを行いながら、ヤングケアラープログラムの方に移行してもらうこともあります。本人が自覚しにくい課題でもあるので、待っているのではなくこちらから働きかけて、登録につなげていくことが重要であると感じています。

オンラインで開催する「キッカケプログラム for ヤングケアラー 」の様子

空いた時間を自分のために使えない…新たに見えてきた課題

実際にプログラムを始めて、新たに見えてきたことはありますか?

プログラムの1つである「ピアサポート」を通じて他者に自分の状況を共有することで、心理的負担を減らすことができています。でも実際に家庭に戻ると、物理的な負担そのものは減っていないんです。「どうすれば心の負担も、体力的な負担も減らすことができるだろう?」ということはカタリバでも常に議論しています。

1つ例を紹介すると、認知症のおじいちゃんのケアをしている高校2年生の双子の姉妹がいます。彼女たち自身はおじいちゃん子なこともあり進んでおじいちゃんのお世話をしていたものの、大変さもあり、生活に支障が出ていました。一方でお母さんも、負担であることは認識しつつ、助かっている部分もおおきかったため、どうするのが良いか悩んでいました。お母さんも彼女たちも、それを共有する場がなかったので、私たちのプログラムを通じて専門家も交えながら、「どうしたらおじいちゃんの介護の負担を減らせるだろう?」と話をしました。すると、これまで在宅の介護にこだわっていたお母さんが「ショートステイ(宿泊型の介護サービス)を使ってみようかな」と言い始めたんですよね。親子ともに最初はサービスに頼ることに抵抗があったようですが、実際に使ってみたところ、かなり物理的な負担が減るようになりました。

互いに感じていることを親子で共有することで、負担軽減に向けた行動につながったのですね。

ところが、新しい課題も見えてきています。おじいちゃんを施設に預けることに対して、子どもたちは「自分たちが見てあげられなかった」という罪悪感を抱いてしまったんです。ショートステイを使うことで、彼女らが自由に使える時間ができたのですが、その時間の使い方についても、遊んで良いのだろうか、自分のために使って良いのだろうか…などと葛藤が生まれています。

また、他の例を挙げると、子どもたちは他の子と対話をする中で、「こんなに大変な人がいるんだ。それに比べると自分の負担はまだ大丈夫」と思ってしまうことがあります。相対的に捉えてしまうんですよね。でもそうではなくて、程度の差はあれどもそれぞれに負担を抱えていることは事実です。対話をすることで逆に「自分は大変じゃない」と思い、もっと無理をしてしまう子どもたちが出てこないように、丁寧に伴走する必要があると思っています。

どちらの例にも共通して、まずはケアの負担自体を減らしていくことが重要になるのでしょうか?

そうとも言い切れません。「負担」という言葉を使うとケアを“ネガティブなもの”と捉えがちなのですが、そうではなく、ケアを通じて得られる誇りやスキル、感情はとても尊いものです。だから、無理やり負担を減らせば良いということではありません。子どもたちがケアを負担している構造は複雑であり、ケアに関わる感情はとても繊細なものです。感情を認知することであったり、ケアそのものが自分にとってどういう意味をもたらしているのか、ということに気づきを得られることだったり、そういったことも非常に重要だと感じています。

ムーブメントだけでなく、具体的なサポートとの連携が重要

実際にプログラムに参加した学生からはどんな声が聞かれていますか?

「話していいんだ」「話したら受け入れてもらえるんだ」、という声がとにかく多いです。ケアについて話すことに失敗体験がある子が多いんですよね。過去に友人に話したら空気が固まったとか、話しても「へー、頑張ってるね」と流されてしまったとか。周囲に受け止められなかった経験によって、「話すことをやめる」という経験をした子どもたちが多いです。厚生労働省の調査でも、「世話について周囲に相談したことがあるか」という問いに対して、約6割以上が「相談したことがない」と言っています。本当は相談したいんだけれどもできていない、という現状が如実に表れていると思いますね。

「ヤングケアラー」という言葉にスポットが当たり始めたことで、相談がしやすい世の中に変わってきているという印象はありますか?

そうですね、それによって「うちも、もしかしたらヤングケアラーなんじゃないか?」と心配され始めた保護者の方もいらっしゃいます。これは重要なことで、自身の家庭の状況を認識して、そこから行政のサービスを使うなど、家庭全体で負担を減らすためにどうしたら良いか考えられると良いと思っています。保護者の方もその対応方法を知らないがゆえに頼れないというのが実態です。言葉が浸透してその実態を訴求することは重要なのですが、当事者らが頼れる先やサービスが用意されていなければ、当事者であることへの気づきは苦しみを生むことにつながるのではないか、とも思います。すごく難しいのですが、ムーブメントによって実態を明らかにするとともに、当事者の家庭が社会的なセーフティーネットや行政サービスなど、受益できる選択肢を提示することもセットにしなければならないと思います。その点、国や行政、学校などが実態と課題を認識し、どういったソリューションを提供していく必要があるか、考えていくことが重要だと思いますね。

最後に、私たち1人ひとりがヤングケアラーのサポートに向け、取り組めることはあるでしょうか?

最近、「自己責任」という言葉がよく聞かれます。自分で責任を取ることも重要だと思いますが、他者の助けと社会のサポートがあって初めて、自分の責任で物事を捉えられると思うんですね。いまの社会では、コロナ禍や経済の停滞などの理由から、みんながそれぞれに大変になっていて、「共助」が難しくなってきていると感じます。周りに困っている人がいたときに、「私も私のことで手いっぱいだから、貴方の心配まではできない」という人もいると思うんですよね。ただ、「誰かにギブし続けることが自分の幸せにもなる」ということはぜひ多くの人に信じてほしいです。周りに困っていそうな人がいたらその人のサポートになることを一緒に考えて欲しいと思うし、本当は話したくないような話を打ち明けてくれたときには受け止めてほしいな、と思います。ヤングケアラーに限らずあらゆる社会問題に共通しますが、1人ひとりがもっと他者に伴走できるようになれば、居心地の良い社会、優しい社会につながっていくと思っています。

カタリバでは今後、研究者と一緒に今回のプログラムの効果測定を行い、ヤングケアラー支援において重要となるポイントや視点を社会に還元していきたいという。ヤングケアラーはなかなか実態が見えづらく、当事者自身も当たり前のものとしてケアを行なって、抱えきれないほど負担が大きくなってしまうケースが多いようだが、名前がついたことで課題が可視化され始めている。今後、より一層社会全体でサポートをしていく機運が高まっていくことが期待できる。

ヤングケアラーについては、今後も新たな実態が可視化されていくだろう。その1つひとつが社会に届くことで、より心理的・体力的負担を軽減し、サポートができる社会に近づくよう、今後もその動向を追っていきたい。


取材・文:大沼芙実子
編集:柴崎真直