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「我が国では」から始まるウィキペディアの記事は誰向け? 北村紗衣さんインタビュー

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インターネットで何か知らないものを調べようとしたとき、あなたならどこで調べるだろうか。筆者は高確率でウィキペディアに辿り着いてしまう。歴史的な事件から、芸能人のプロフィールまで、さまざまな情報がまとまった便利な百科事典にはお世話になりっぱなしである。

そんなウィキペディアだが、一方で情報の信憑性や、「荒らし」の出没など、いつも安心して使用できるかといったらそうでもないだろう。また、最近ではよく募金を募る表示も見かけるが、一体どのように運営がされているのだろうか。

今回の記事では、武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授で、シェイクスピア、舞台芸術史、 フェミニスト批評を専門とし、ウィキペディアン(※1)としても活動する北村紗衣さんに話を伺った。

※1 ウィキペディアを執筆・編集するボランティアのこと。ウィキペディアンには誰でもなることができる。

ウィキペディアンになるまで

ウィキペディアンは誰でもなれる、とはいうものの実際にどのように始めるのだろうか。まず、北村さんがウィキペディアンになったきっかけ、そして北村さんが実践するウィキペディアンを育てる大学での授業「英日翻訳ウィキペディアン養成セミナー」について伺った。

まず、北村さんがウィキペディアンになったきっかけを教えてください。

北村:留学していたときにあった、大学院生などに向けたウィキペディアの執筆コンテストがきっかけです。私は当時給付型の奨学金を企業からもらっており、せっかく英語もできるようになってきたので、何か社会貢献ができればいいなと思って参加し、英語のウィキペディアの記事を日本語に翻訳し始めました。
ウィキペディアはどこかに書き方がまとまっているわけではないので、他の人が書いた記事を真似るしか学び方がありません。なので、私も最初のうちは出典にしてはいけないサイトを出典にしてしまったりと、失敗を重ねながらできるようになっていきましたね。

大学でもウィキペディアの授業をされていますが、そちらはどのようなきっかけで始められたのでしょうか。また、どのように授業をされているのでしょうか。

北村:私がこの仕事を始めた頃は、東京大学の非常勤講師として英語を教えていて、論文やニュースを読む授業をしていたところ、学生から2パターンの反応があったんです。1つは実用的な分野を読ませて欲しいという反応、もう1つは面白いものを読ませてほしいというものでした。この両方の要求を叶えるには、ウィキペディアを翻訳するのがいいのではないかと思い始めました。それから、一人ひとりが責任をもって取り組めるプロジェクト型の授業もやってみたかったので、ちょうどいいのかなと思っています。
授業で扱う項目はリストを作って選んでもらうようにしています。授業を通してすでに270以上の記事が出来上がっています(※2)。食べ物の記事や、授業で扱うような作品の記事は人気ですが、それ以外にも、学生本人の興味で調べた専門的な項目などもあって面白いです。

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(編集部撮影)取材中の北村さん

※2 実際に授業で使用されているページ
https://onl.la/mimEVZS

女性関連記事は削除されやすい

知りたいことはたいてい知ることができる印象のあるウィキペディア。しかし、実はウィキペディアに掲載されている記事や運営の裏側には、ある傾向があるのだとか。ウィキペディアとジェンダーギャップについて、教えていただいた。

北村さんがウィキペディアンになったのには社会貢献というきっかけがあったとのことですが、ウィキペディアはどのような体制で運営されているものなのでしょうか。

北村:例えば日本語だと日本語版というように、各言語ごとに運営がされています。アメリカには財団もありますが、日本にはちゃんとした組織があるわけではなく、それぞれの人がバラバラにボランティアとして活動しています。
ただ、新型コロナウイルスの感染拡大以前は、エディタソン(※3)、とくにウィキペディアタウンと呼ばれるイベントが日本では盛んでした。町おこしのために公民館や図書館のようなところに集まって、記事を書いたりして、ベテランの方が書き方を教えてくれたりもしていました。

ウィキペディアンにはどのような人が多いのでしょうか。

北村:英語版の統計だと、編集者の8割以上が男性であると言われています。ウィキペディアは元々コンピュータ関連の記事が多く、コンピュータ業界の男性優位性を反映して、男性ユーザーが多いのではないかと思っています。女性ユーザーが少ないので、女性ユーザーを増やさなければいけないという話もよく出ますね。

編集者の偏りによって、記事にもジェンダーギャップが出てくるということでしょうか。

北村:そうですね。特に2000年代前半頃まではかなりひどく、女性に関係すると見なされる記事や女性の人物記事は削除依頼が出やすいと言われていました。いまだに、女性に関する記事の方が内容も薄いです。
例えば、イギリスのキャサリン・ミドルトンがウィリアム王子と結婚したときのウエディングドレスに関する記事があります。このドレスは明らかに文化的影響が大きいのですが、記事が英語版のウィキペディアにできたときに、削除依頼が出そうになりました。一方で、Linuxディストリビューション(※4)の記事は英語版に100以上あって、ほとんど誰も知らないようなマニアックな記事も多いんですよね。女性のものとみなされているファッションに関する記事と、男性のものあるいはジェンダーがないとみなされてるコンピュータの技術などに関する記事と、何でこんなに当たりが違うんだと指摘されてもいます。

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そのような状況に対して、ウィキペディアのジェンダーギャップを埋めるための動きなどはあるのでしょうか。

北村:大きいものだと、スウェーデンの大使館が関わって開催されたウィキギャップ(※5)などがありますね。私も協力した企画で、成果が上がった例の一つだと思います。ただ、本来は大使館など国がかかわるような組織主導ではなくて、ウィキペディアのコミュニティが主導でやらなくてはいけないことだなとも思っています。
コミュニティから始まった動きだと、日本語版にはまだありませんが、英語版では「Women in Red」というプロジェクトがあります。これは、ウィキペディア上でまだ記事がないために赤文字になっている女性関連ページのリンクを、記事を作ることで青リンクにしようという取り組みです。あとは「Art+Feminism」という、まだ記事本数が少ない芸術と女性に関する記事を書くプロジェクトもありますね。こういったコミュニティ内の動きを盛り上げていくことも重要だと思います。

このようなウィキペディア上のジェンダーギャップについてさらに調べてみると、編集者の偏りについては、ウィキメディア財団が過去に行った調査(※6)ではウィキペディアンの9割近くが男性であるというデータが示されている。さらに、編集者だけではなく記事の本数でも男性の人物記事が8割、女性の記事は2割となっている(※7)ことが分かった。何気なくアクセスしているウィキペディアにもこんな問題が潜んでいたのである。

※3  ウィキペディアのコミュニティで、同じトピックやコンテンツを複数の編集者が一緒に編集したり、改修したりすること。
※4 LinuxはOSの一種であり、ディストリビューションとはLinuxを流通させ、使用できるようにするためのアプリケーションの配布形態のことを指す。
※5 スウェーデン外務省が中心となり開催されている、ウィキペディアのジェンダーギャップを埋めるために女性に関する記事を増やすキャンペーン。すでに60カ国以上で開催されており、日本では2019年に初めてのイベントがあった。
https://wikigapjapan.wordpress.com
※6 ウィキメディア財団 「WIKIPEDIA EDITORS STUDY」(2011)
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/76/Editor_Survey_Report_-_April_2011.pdf
※7 Humaniki
https://humaniki.wmcloud.org/search

「日本中心にならないように」

さらに、偏りが生まれがちなのはジェンダーの分野だけではないという。世界中で使用されているウィキペディアだからこそ、地域ごとの特性や格差も生まれやすいという現実がある。

「Women in Red」のような取り組みは日本語版にはまだないとのことですが、そういった動きはやはり英語版の方が早く動き出すのでしょうか。

北村:そうですね。ユーザー数が桁違いなので、英語版の方がいろんな観点から気づくことが多いのかもしれません。それに、私のように英語圏には少ししか住んだことがなくても、英語版を使用するユーザーも多くいるのに対し、日本語版は日本語が第一言語ではないユーザーは少なめだと思います。

他の地域と比較して、日本語版のウィキペディアの特徴などはありますか。

北村:気をつけなければいけないと言われているのが、「日本中心にならないように」しようということです。日本のウィキペディアは「日本語版」であって、「日本版」ではないんですよね。日本で暮らす人ではなくて、日本語ができる人のためのウィキペディアです。なので、例えば「我が国では」と書くのではなく「日本では」と書かなくてはならないんです。

同じように、一定の地域を中心と捉えてしまうような傾向は他の地域などでもあるのでしょうか。

北村:全体的には、アメリカ中心主義になりやすいと思います。翻訳するにしても英語版が1番記事数が多くて、アメリカのものが多くなってしまうんですよね。また、少し前までは英語版で書かれた日本に関する記事が間違いだらけだったりもしたので、本当は各地域について書かれた英語版の記事を直したりする必要もあります。

読者としては気づかないうちに影響を受けていそうですね。そのような地域や言語ごとの偏りを是正するためのアクションなどもあるのでしょうか。

北村:日本でも定期的にやっていますが、「アジア月間」というように「〇〇月間」と名付けて、地域やあるコミュニティに関する記事を強化しようとする執筆コンテストなどがあります。アジア月間では自分の住んでいる地域以外のアジアの記事を書くのがお題で、一定数以上の記事を書くとハガキをもらえたりします。他にもアフリカ月間や、英語版ではBlack History Monthで黒人に関する記事を強化したりしています。

良いウィキペディアの記事の見分け方

ここまでは、ウィキペディアの書き手を中心とする動きについて教えていただいた。最後に、読み手の視点からも話を伺った。学校でも仕事でも、私生活でも、さまざまな場面で使用するウィキペディアと向き合う時、私たちはどんなことに気をつければいいのだろうか。

書き手以外にも、読み手としてウィキペディアを使用する人も多くいると思いますが、使用時に注意した方がいいことはありますか。

北村:記事の1番上に注意のテンプレートが貼られているものはあまり信用しない方がいい記事かなと思います。例えば、ナイジェラ・ローソンという人の記事には、私もテンプレートを貼ったのですが、出典がなかったり、内容が百科事典に相応しくないといった理由でアラートを出しています。このようなビックリマークのアラートがついているものは基本的にはあまり信用できない記事かなと思います。

あまり良くない記事は冒頭で分かるように工夫されているんですね。逆に、良い記事を見分ける方法はありますか。

北村:私がよくお気に入りの記事として挙げる記事なのですが、「激おこぷんぷん丸」の記事などはいい例かと思います。ウィキペディアにしかないような記事で、ちゃんと出典もあって読みやすいです。
この記事のところに星マークが付いていますよね。これは、良質な記事に選出された証です。コミュニティの推薦とベテランのウィキペディアンなら誰でも参加できる審査で良質な記事が選出されます。この記事の選考時には私も少し議論に加わっていましたが、「激おこぷんぷん丸」はどのくらい怒っている状態なのか、挿入された画像はふさわしいのかなど、面白いやりとりがありました。良質な記事の選出ページなんかも見てみると、良い記事に出会えるかもしれません。

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今や、世界的百科事典となったウィキペディア。便利なだけに頻繁に使用したくなってしまうが、よく見てみるとさまざまな問題もあることが分かった。ジェンダーや、国・地域、人種など、実世界の中でも存在する格差がウィキペディアの中にも反映されてしまっているのだ。その一方で、今後どのようにウィキペディアが変化していくのかも楽しみだ。インターネット上に存在する百科事典の上で、Women in Redのような地道なアクティビズムが展開されている。これはもしかしたら、誰もがより気軽にジェンダーや人種のギャップを埋める手助けができるチャンスなのかもしれない。あなたも、1記事執筆に挑戦してみるのはいかがだろうか。

 

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北村紗衣
1983 年生まれ。武蔵大学人文学部英語英米文化学科准教授。専門はシェイクスピア、舞台芸術史、 フェミニスト批評。ウィキペディアンとしても活動する。著書に『お砂糖とスパイスと爆発的な何 か』(書肆侃侃房)、『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』(白水社)、共訳にヘンリー・ジェンキ ンズ『コンヴァージェンス・カルチャー』(晶文社)、『批評の教室 ――チョウのように読み、ハチのように書く』 (ちくま新書) 
がある。


取材・文:白鳥菜都
編集:柴崎真直