僕には、知的障がいのある弟がいる。
...と書くと、数々の困難やそれを乗り越えた感動のストーリーを期待されるかもしれない。
しかし、残念ながら、そういう内容は本稿には出てこない。
障がいのある弟の存在は僕にとってただの日常であり、それ以上でも以下でもないからだ。特に子どもの頃は、ごくごく自然なこととして受け止めていて、ことさら意識することはなかった。弟が介護などは必要としていないこともあるし、両親がそう思うように育ててくれたというのも一因だと思う。
「いないこと」にされている人々
状況が少しずつ変わりはじめたのは、小学校に上がったころだ。家の外で過ごす時間が増えると、どうも「ふつうの家」には障がいのある家族はいないらしい…ということに気付くようになる。テレビやマンガにも、障がいのあるキャラクターは出てこない。表向き、障がいのある人間は「いないこと」にされた状態で、世の中は回っている。だから、成長して世の中の流れに組み込まれるほどに、弟のことを腫れ物のように感じるようになっていった。友人や同僚との会話になると、「きょうだい」の話題を避けるようになった。
僕がこのことを自覚したのは、自分に子どもができて、保育園に行くようになってからだ。園には、知的障がいのある子どもが何人かいた。しかし、その子達はいじめられることも、過剰に優しくされることもなく、ただのクラスメートとしてそこにいた。同時にその様子を見ていた僕も、弟の障がいを意識することがなかった、かつての感覚を思い出したのだ。
「多様性を認める」という言い方があるが、認める認めないの問題ではなく、世界はもともと多様だ。障がいのある人をはじめ、マイノリティはいつでもどこでも存在した。現実に存在する人々を、存在するものとして扱おうという意識が、やっと私たちに芽生えてきたのだと思う。
映画の世界では、障がい者や同性愛者が、主役級のキャラクターとして登場するようになった。動画配信の世界では、アジア人のドラマが世界ランク1位をふつうに獲るようになった。もう時代は後戻りすることはない。
しかし、この潮流からはっきり遅れを取っているのが、日本の広告界だと思う。
1日中テレビをつけていても、スマートフォンのタイムラインを眺めていても、そこには1人のマイノリティもいない。それどころか、実世界ではほとんど会う機会がないような、現実離れした笑顔の美男美女ばかりが出てくる。
イギリス人の広告クリエイターに「広告を見る限り、日本には年寄りも障がい者もまったくいないみたいだね」と言われたことがある。悔しかったが、僕は反論できなかった。
では、世界の状況はどうなのか?いくつか事例を見てみよう。
ダウン症のCMタレント
2012年、ダウン症の人々の権利を保護するイタリアの非営利団体CoorDownは、“ Integration Day”というキャンペーンを行った。その内容は、テレビCMに登場するタレントや俳優を、ダウン症の俳優に置き換えるというものだ。通常のCMを撮影した後、出演者を入れ替えて、ダウン症バージョンを撮影したらしい。参加したのはパンパースやイリー、トヨタといった、誰もが知る世界的なブランドばかり。今でもCoorDownの公式YouTubeで映像が公開されているので、ぜひ見てみてほしい。
もし、ある日突然、三太郎CMの登場人物が全員ダウン症になったら…と想像すると、このキャンペーンのすごさがわかると思う。ダウン症の赤ちゃんが登場するパンパースのCMは、同じ境遇に置かれた母親にどれだけ勇気を与えたか、計り知れないものがある。アイデアはシンプルではあるけれど、ビッグブランドが顔を連ねたキャンペーンだけに、調整は困難だっただろう。志のあるクリエイターとクライアントが協業したからこそ実現した、素晴らしい仕事だ。
次に紹介するのは、2021年の世界ダウン症の日に公開された“THE HIRING CHAIN”というCMだ。タイトルは「雇用の連鎖」という意味になる。
CMは、シモーヌというダウン症の少女がベーカリーで働く場面からはじまる。客として来ていた弁護士の女性は、シモーヌの働きぶりを見て、自分の職場でもダウン症の従業員を雇用することを決める。それを見た弁護士の顧客は、同じように自分が経営する歯医者で、ダウン症の歯科助手を雇用することを決める。それを見た歯医者の患者が…というふうに、同じことが続く。タイトル通り、雇用が連鎖する様子が描かれる。このCMのために作られたオリジナル曲を歌うのは、The Policeの元メンバーのStingだ。
ちなみに僕も、2021年3月21日(世界ダウン症の日)に、作家の岸田奈美さんと一緒に新聞広告を制作した。
制作の背景を語った記事もあるので、興味のある方は読んでもらえるとうれしい。
「世界ダウン症の日にみんなのお金で、でっかい新聞広告を出したかったわけ」を聞く
アップルと自閉症
2016年にはアップルが “Dillan’s Voice”という2分のムービーを公開した。ディランという自閉症の青年を取り上げたドキュメンタリーだ。ディランは言葉を話すことができない。しかし、3年前からiPadを使いはじめ、専用のアプリを通じて人とコミュニケーションが取れるようになったという。
iPadの合成音声で、ディランはこんな風に語りかける。
「生まれてからずっと、みんなとつながりたいと思っていました。
でも、僕のことを理解できない。コミュニケーションを取る手段がないからです。
僕の世界の感じ方は、他の人と違う。
風が見える。花が聞こえる。愛する人の感情が流れ込んでくるのを感じられるんです。
多くの人は、僕に心があることを理解できない。混乱していると思われている。
でも、今なら分かるでしょう。
iPadは言葉だけではなく、思考をまとめることも助けてくれる。
声を持ったことで、僕の人生は変わりました。
もう孤独じゃない。やっと、愛してくれる人と話せたんです。
考えを伝えられる。僕も愛してるよ、と言える」
ムービーは、ディランがiPadを使って高校卒業のスピーチをする場面で幕を閉じる。
感動という排除
日本で障がい者がメディアに出る際は、感動や勇気といった文脈に乗っている場合がほとんどだ。一方、先に紹介したCMでは、特別な場面や劇的な展開は一切ない。“Integration Day”で作られたCMは、出演者がダウン症であることを除けば、言葉は悪いが「よくあるCM」だ。“THE HIRING CHAIN”で描かれるのはどこにでもある職場の光景だし、“Dillan’s Voice”もありふれた学校と家庭の物語だ。
そう、いつもの毎日に感動する場面なんて、そうそうない。障がい者だけ感動文脈に乗らないとメディアに登場できないのであれば、それは感動のフリをした排除だと思う。
障がい者のいる光景を、当たり前の日常として描く広告が、もっとあっていいはずだ。
広告は、ふつうをアップデートできる
何かのついでに、わずかな時間を費やして見るのが広告だ。構造的にステレオタイプな表現に陥りやすい。
しかし、だからこそ、広告には時代の流れをとらえて、世の中の「ふつう」をアップデートする力があると僕は思う。海外では男性カップルの子育てを描くテレビCMが登場している。日本でも男性の子育てや家事、女性の働く姿を描く広告が増えていて、良い兆候だと思う。
内閣府の調査によると、国民の6%は心身に何らかの障がいを有している(※1)。障がい者を広告に登場させることは、ビジネスとしても利があるはずだ。
告白すると、冒頭で弟のことにふれるのは、少し勇気が必要だった。しかし、原稿を書き終えた今、心にひっかかるものは何もない。(締め切りを3日オーバーしている焦りを除けば)あるがままを受け入れるのは、やってみれば、そんなに難しいことではない。
少なくとも、若い美男美女しかいない世界を描くよりは、ずっと楽なはずだ。
※1 内閣府ホームページ
(https://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h25hakusho/gaiyou/h1_01.html)
橋口幸生
株式会社電通 クリエイティブ・ディレクター、コピーライター。最近の代表作はロッテガーナチョコレート、出前館、スカパー!堺議員シリーズ、鬼平犯科帳25周年ポスター、「世界ダウン症の日」新聞広告など。『100案思考』『言葉ダイエット』著者。TCC会員。趣味は映画鑑賞&格闘技観戦。
https://twitter.com/yukio8494
寄稿:橋口幸生
編集:Mizuki Takeuchi