日本で暮らす人々のなかで、学校教育や入試制度、就職活動の在り方に疑問を抱いている人は少なくないのではないか。
現役大学生である筆者は特に、受験における現役至上主義や就職活動における新卒至上主義によって、若者が「どう生きるか」を考えにくい現状に疑問を持っている。高校時代には、大学に現役で合格することがすべてだと思い込んでいた時期もあった。しかし実際に浪人したところ、自分が好きなことや大切にしたいことを再確認したり、人と対話してさまざまな価値観に出会ったりして、その後の人生の助けにもなるような時間ができたことから、今では重要なステップだったと感じている。
海外では、若者はどんな仕組みのなかにいるのか
日本で暮らす若者として、現在の日本の仕組みや風潮は「どう生きるか」を考えにくい形だと感じ、同世代の間でもそういった話題になることは多い。では、海外の若者はどうなのだろう。
例えば、アメリカの大学入試で取り入れられているコモンアプリケーション(全米900近くの大学に共通する願書)にはエッセイの項目がある。学問的な知識や理解を問うのではなく、受験者個人の経験や考え方を確かめる位置付けでエッセイを書くのは、自分を見つめ直すきっかけになるかもしれない。
また、英語圏の国々でメジャーなギャップイヤーの制度も、大学で何を学びたいかを深めたり、卒業後の働き方をイメージするのにいい機会だとされている。ギャップイヤーとは高校卒業から大学入学までのモラトリアムのことで、その間学生は、旅行やボランティア、アルバイトやインターンシップ、海外留学をする。
そして最近、友人との会話で「フォルケホイスコーレ」という教育機関の存在を知った。どうやらデンマークを中心にした北欧にある学校で、大学入学前の若者を中心に、年齢も国籍も入学理由もばらばらの人々が寝食を共にしながら学ぶ場らしい。
フォルケホイスコーレとは
1844年にデンマークの哲学者・教育者であるグルントヴィが「すべての人に教育を」というコンセプトのもと、主に学校に通えない農民などを対象に創設した、北欧独自の教育機関だ。
現在はデンマークだけでも70校前後のフォルケホイスコーレがあり、学校ごとに文学、アート、環境学、政治学、スポーツ、福祉など、さまざまな分野に特化している。例えば、食や料理に特化したフォルケホイスコーレでは、各国の調理方法から健康や環境に配慮した食材選び、食に関連したイベントのマネジメントまでを学ぶことができる。また別のフォルケホイスコーレでは、15ヶ国以上の多様なバッググラウンドを持つ生徒と共に宗教的思想や教会史を学びながら、選択科目で音楽や言語の科目も受講できる。
学校ごとに学べる分野やカラーの違いはあるが、すべてのフォルケホイスコーレで共通しているのは、教師も含めた全員が共に生活しながら民主主義的思考を育み、知的欲求を満たす場であること、そして試験や成績がなく、対話や体験に重きを置いていることだ。
「試験や成績が一切ない」とは日本の学校ではなかなかないことだが、それに加えてフォルケホイスコーレは、17歳以上であれば誰でも入学でき、しかも国籍関係なく国からの助成を受けられるので、学費も低額だという。
フォルケホイスコーレに滞在した日本人留学生は
その教育メソッドの興味深さに加え、学費も安く、幅広い層に門戸が開かれていることから、日本人の間でもフォルケホイスコーレは注目されている。日本の教育と異なる点が多々あるフォルケホイスコーレだが、日本から留学した人々はフォルケホイスコーレでの学びをどう捉えているのか、ヒアリングしてみた。
ケース1〈中島あさ美さん〉
私は現在教育大学の学生なのですが、暗記ばかりさせたり、過剰なプレッシャーをかけたりする日本の教育に違和感を抱き、世界の教育を調べていくうちにフォルケホイスコーレにたどり着きました。
フォルケホイスコーレでの学びは基本的に「体験」に重点が置かれています。日本の学校で中心的な座学だけではなくて「森のなかで寝て、裸になって冷たい水に飛び込む!」といった体験からは、たくさんのインスピレーションが得られました。
生徒と先生の関係もフラットで、点数序列されることや規則に縛られることがないので、人間が人間らしく生きるための場所だと思います。
北欧の考え方や働き方は記事で読めば分かることですが、リアルな体験や人間関係というのはここでしか得られないものなので、フォルケホイスコーレでの出会いに感謝しています。
ケース2〈石川未夢さん〉
私はもともとメーカーで働いていたのですが、当時の上司に「どんなキャリアを描いていきたいのか」と聞かれたときに頭が真っ白になり答えられなかったんです。いつの間にか「会社がこうしたいから、私はこう動く」「会社が私にこれを求めているから私はそうする」というマインドが中心になり、自分が何をしたいのかを見失っていることに気づきました。
それから自分の興味関心を掘り下げ、デンマークで食品ロスを減らすための活動をしている団体へのインターンシップ参加を決めました。インターン開始までの余白の時間でデンマーク語とデンマークの文化を学びたいという思いから、フォルケホイスコーレに留学することにしました。フォルケホイスコーレでは、人と人の繋がりから生まれる対話に学ぶことを目的としているので、人と向き合うことの大切さを改めて感じました。
帰国後は奈良県でフォルケホイスコーレをつくる活動をしています。教育や組織を変えるのは規模が大きく難しいことなので、変えるのではなく、オプションを1つ増やす活動がしたいと思いジョインして、精力的に活動しています。
生き方を考えられる機会はどこにあるのか
フォルケホイスコーレは、「誰でも平等に学べる環境をつくりたい」「フォルケホイスコーレに行くことを目的ではなく手段として活用してもらいたい」という創設者の思いから、入学試験や滞在期間中のテストがない。テストで良い点を取るための勉強ばかりで学校生活に集中できないことや、他人と比べられることで学ぶ意欲や自己肯定感が下がることを懸念した背景もあるという。
「試験なし、成績なし」の学校生活があれば「どう生きるか考えられる」という単純な方程式が成立するわけではないが、安心して学ぶことができ自分に向き合える場は、日本の若者も求めているのではないだろうか。
2018年に明るみに出た医学部不正入試問題などは言語道断だが、それ以外にも、学費が高いこと、奨学金を得るハードルが高いことなど、日本では学びの内容に踏み込む以前に教育の問題が山積している。そんななかで生き方を考えられる学び場の少なさは、問題として捉えられることすらないかもしれない。
「どう生きるか」を考える機会は、学校教育にあるかもしれないし、学校外の学び場に、留学に、親や友人やパートナーとの会話に、メディアにもあるかもしれない。教育機関の在り方は一朝一夕では変わらないだろう。それでも、長い時間をかけてデンマークにフォルケホイスコーレが根付いてきたように、人々がより豊かに生き方を考えられる機会が増えていくことを願う。
取材・文:日比楽那
編集:白鳥菜都