よりよい未来の話をしよう

未来を語る人ばかりだから、広告の過去の話をしようと思う。

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本連載は、「あしたメディア」の「社会を前進させる情報発信」というコンセプトに賛同し、国内外の先進的な広告事例の紹介を目的としている。しかし、今回は「きのう」の話からはじめることをお許しいただきたい。

誰もが知っていた広告を、誰も知らない

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1998年6月19日、広告の歴史を変えることになる、一本のCMの放送が開始された。

画面に映し出されるのは、高級車に乗り込む重役然とした雰囲気の中年男性。「セガ・エンタープライゼス 専務 湯川英一」というスーパーが映し出される。どうやらセガのCMらしい。湯川専務の視線の先にあるのは、小学生の男子2人。彼らは、こんな会話をしている。

「セガなんてだせえよな!」
「プレステの方がおもしろいよな!」

スマホもタブレットもなかった当時、リビングのテレビにつないで遊ぶゲーム機は、子ども達の娯楽の王様だった。そのゲーム機の電源を切った瞬間、テレビにこのCMが映し出されたら…当時の子ども達がどれだけ衝撃を受けたか、想像していただけると思う。

セガのCMなのに、セガのことをダサいと言っている。さらに競合商品のプレステのほうがおもしろいと言っている。異常事態だ。

当時、セガのゲーム機セガサターンは、ソニーの初代プレイステーションに押されて劣勢だった。セガはメガドライブをヒットさせた古参の家庭用ゲーム機メーカーだ。新興勢力のソニーに負けている状況は、さぞ屈辱だっただろう。起死回生の策として、セガはセガサターンに続く新ゲーム機「ドリームキャスト」を発売する。その広告が、湯川専務シリーズだ。

湯川英一氏は役者ではなく、当時、実際にセガの専務を務めていた。それまでも関西電気保安協会など、一般人を出演させたヒットCMはあった。しかし、一般人に本人役を演じさせたのは、日本では湯川専務シリーズが初めてだったのではないだろうか。

20年前の広告が、現代に与えた影響

湯川専務シリーズが与えた影響は、ソーシャルメディア時代の現在でも色濃く残っている。

プリッツが2016年11月11日に実施した「プリッツの気持ち」キャンペーンや、姫路セントラルパークが2019年に実施した「日本一心の距離が遠いサファリパーク」など。Twitterでヒットした「自虐広告」の大半は、源流をたどれば湯川専務シリーズに行きつく。

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一般人を役者として起用したCMとしては、2013年に「のどごし夢のドリーム」が登場している。ジャッキー・チェンの熱狂的ファンの男性が、本物のジャッキーと共演するカンフー映画風CMをつくる、という企画だった。(私は、これらの広告の作り手達が、湯川専務を意識したと主張したいわけではない。歴史の中での位置づけの話をしている)

遅くなったが、なぜ今20年以上前のテレビCMについて書いているのか、理由を説明したい。

先日、広告業界を志す20代の若者たちの前で講演をする機会があった。過去60年間の名作広告を振り返る内容だったのだが、彼人らは誰ひとり、湯川専務シリーズのことを知らなかったのだ。
湯川専務だけではない。「不思議、大好き。」(※1)も、「モーレツからビューティフルへ」(※2)も、「hungry?」(※3)も。2000年代以前に作られた名作と言われる広告は、若い人たちにまったく知られていなかった。

広告以外のジャンルに置き換えてみよう。今、映画監督を目指している若者が、「マトリックス」や「プライベート・ライアン」を知らないなんてありえない。
これは彼ら/彼女たちの勉強不足ではないと思う。むしろ同年代の頃の自分よりずっと賢明で知識欲も旺盛だと、話していて感じた。つまり、これは広告サイドの発信不足が原因だ。

※1 1982年に公開された西武百貨店の広告。
※2 1970年に公開された富士ゼロックスの広告。
※3 1992年に公開された日清食品(カップヌードル)の広告。

「アーカイブ」と「批評」の欠落

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広告の世界では、未来についてやたらと語られる割には、過去が振り返られることは少ない。他の表現ジャンルではあって当然の「アーカイブ」と「批評」が欠落しているのだ。

上述の湯川専務シリーズは、2020年に63歳の若さで亡くなったクリエイティブ・ディレクター/CMプランナーの岡康道氏の代表作のひとつだ。今年10月には青山・スパイラルで回顧展が開催され、手掛けたCMが一斉上映された。私も足を運んだが、あらためて氏の偉大さを感じさせる素晴らしい展示だった。しかし、今となっては、こういう機会でも無ければ岡氏の作品をまとめて見ることは難しくなっている、という現状にも気づかされた。

広告は、あらかじめ定められた公開期間が終わったら、その後二度と見られなくなるのが普通だ。企業のウェブサイトでアーカイブされることもあるが、タレントが出演していたりすると、契約期間後は取り下げられる。評価された広告はコピー年鑑などの書籍に掲載されるので、後から見直すことは可能だ。しかし、テレビCMなど映像作品を書籍で追体験するには限界がある。YouTubeに無許可でアップロードされているものあるが、ほんの一部だ。

広告会社の資料室には、過去CMのVHSビデオやDVDが保管されている。しかし、ビデオデッキや光学ドライブが使われなくなっていることを考えると、次世代にアーカイブが引き継がれるかは微妙だ。それに、こうしたアーカイブは一握りの関係者しか見ることが出来ない。

岡康道氏は広告界のトップスターであり、一般にも広く知られている。彼をモデルにしたTVドラマが作られたほどだ。そんな人物の手掛けたCMが、簡単には見られなくなりつつある。広告文化の危機的状況と言っていい。

それでも、テレビCMはまだいいほうだ。ウェブ広告になると、まったくアーカイブされないことの方が多い。公開期間が終われば、サーバーが閉じられ、跡形もなく消え去ってしまう。ウェブらしい仕掛けがあるものほど、後から体験することが難しくなるのだ。(テクノロジーが進歩すればするほど、表現のアーカイブ化が困難になる。中国のSF小説「三体」で、滅亡寸前の人類が文明の記録を永く遺すためのとった手段は、「石に掘る」というものだった。)

閑話休題。「巨人の肩に立つ」という言葉がある。先人達の積み重ねをもとに、自分なりの新しいものを創作する、という意味だ。もし広告クリエイターが、リアルタイムで体験したわずかな広告だけを元に創作をするのなら、底の浅いものになることは避けられない。

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「アーカイブ」の欠落は、「批評」の欠落にもつながる。日本の広告界には噂話や陰口はあっても、「批評」がないのだ。表現が作られた背景を調べ、もたらした影響について思考し、歴史の中に位置付ける。表現が成熟し、進歩していくために、批評は欠かすことができないものだ。

広告が映画や音楽などに比べて軽んじられているのは、商業活動の一貫だからということに加えて、批評の不在が大きいと私は思う。その広告表現がどういう文脈で生まれ、どういう価値を持つのか?外部の人に分かる形で言語化されていないのだから、リスペクトされないのは当然だ。

広告が業界の枠を超えた批判にさらされた時も、批評の不在が顕在化する。エンブレム問題の際、説得力のある反論をできた人がほとんどいなかったことを思い出してほしい。

比較するために、海外の状況を紹介しよう。イギリスの広告業界誌Campaignは広告とシュールレアリズムの関係を分析するなど、読み応えのある特集をしばしば行っている。例えば、あるCMに盗作疑惑が生じた時は、クリエーターの反論を載せると同時に、盗作かどうかを編集部が検証していた。日本で同様の問題が起きたときのことを想像してほしい。関係者のTwitterが炎上し、形通りの謝罪文が出され、それで終わるだろう。2週間もすれば全員が忘れる。だから、同じ間違いが繰り返される。アーカイブと批評の欠落がもたらす、ビジネス上の実害だ。

「きのう」の先にある「あした」

とはいえ、希望はある。

2002年に開館したアドミュージアム東京は江戸時代から現代まで約32万点の資料を収蔵。広告の社会的・文化的価値への理解を広めている。受賞作品を公式サイトで公開するアワードも増えた。

コロナ禍の影響で広告関係のウェビナーが盛んに行われ、業界外からも多くの参加者が集まるようになった。「広告クリエイターは黒子であるべき」という因習にとらわれず、ソーシャルメディアで積極的に発信する若い世代が台頭している。彼人らの広告への向き合い方や、世の中への視点は、広告ムラを超えて広がっている。

広告業界の対外発信は、少しずつではあるが、前進している。本連載も、微力ながら、この潮流を後押ししたいと願って書いているものだ。

なお、湯川英一氏はセガを退職した後、様々な企業の社長や会長を歴任。2009年には中国語レッスンサービスのPR大使に就任している。

現在の消息は、不明だという。

 

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橋口 幸生
株式会社電通 クリエイティブ・ディレクター、コピーライター。最近の代表作はロッテガーナチョコレート、出前館、スカパー!堺議員シリーズ、鬼平犯科帳25周年ポスター、「世界ダウン症の日」新聞広告など。『100案思考』『言葉ダイエット』著者。TCC会員。趣味は映画鑑賞&格闘技観戦。 

https://twitter.com/yukio8494

 

寄稿:橋口幸生
編集:Mizuki Takeuchi