コロナ禍、数多くの文化施設が休業に追い込まれ、ライブやコンサートが軒並み中止となった。仕事を失い、生活への不安に苛まれたアーティストやスタッフたちの中には、精神的に追い詰められてしまった人も多かっただろう。
国内では「芸術は不要不急」との声も飛び交い、創作活動をなりわいとする人々の”生きづらさ”がありありと示された。パンデミックの影響による労働環境の激変、日々アップデートされ変化する世間からの期待やプレッシャーの中で、アーティストやクリエイターが心の安寧を保ちながら活動することがより難しくなっている。
「文化の根を絶やしてはならない」
ならば、社会はいかにして作り手たちを守っていけるのか。今回の記事では、「アーティスト/クリエイターのメンタルヘルスケア」をテーマに、彼らの活動や発信、国内外における取り組みを紹介したい。
「アーティストを守るのは社会だから」使命感に裏付けられた支援活動
欧米諸国では、アーティストやクリエイターのメンタルヘルスに対する問題意識がいち早くから芽生えており、すでに幾つもの組織や団体が支援活動に踏み切っている。
「助けが必要ならば、たとえ自分達の専門領域ではないとしても、アーティストたちのメンタルケアをサポートするためのリソースを提供するのが我々の責務だ」
(※1)
そう語るのは、カナダのインディーズ音楽レーベル「Royal Mountain Records(以下、ロイヤルマウンテンレコーズ)」だ。ロイヤルマウンテンレコーズは、所属アーティストがメンタルヘルスケアに関わる治療や診療などのサービスを外部の医療機関で受ける際、補助金を給付している。2019年の2月からこの取り組みを開始しており、各バンドそれぞれ1500ドル(日本円で約17万円)まで支援が受けられるという。
また、米国・ポートランド州を拠点に活動する非営利活動法人「Backline」は、アーティストたちが専門の診療機関をいち早く見つけることができるよう、アーティストのメンタルケアに特化した診療医やクリニックを検索できるプラットフォームを運営している。ホームページからは、その他にも、悩みごとを気軽に相談できるアーティスト同士のコミュニティを探すこともできる。(※2)コロナ禍において物理的な移動が制限され、「そばにいる誰かに相談する」ことすら難しくなってしまった今、このようにオンライン上で情報を得られるのは心強い。
その他にも、「mental health care support for artists」というキーワードで検索すると、365日24時間無料で相談を受け付けてくれる電話サービスや、アーティストやクリエイター向けにメンタルヘルスケアに役立つ情報や支援団体、ワークショップなどをまとめた海外の記事を数多く見つけることができる。海外における先進的な取り組みは、もちろん団体側が率先して取り組んでいるケースも多い。一方で、そのきっかけには、アーティストたちによる発信があるとも言える。
※1 引用:Royal Mountain records「Mental health Initiative」筆者訳
https://royalmountainrecords.com/pages/mental-health-initiative
※2 参考:Backline公式HP
https://backline.care/
声を大にして言おう。助けを求めることは恥ずかしくなんかない
2020年、史上最年少でグラミー賞の主要4部門を含む5冠を獲得したビリー・アイリッシュ(以下、ビリー)は、その前年である2019年にメンタルヘルスに悩む人々をサポートする団体「Seize the Awkward」の広告動画に出演し、「助けが必要だからといって、あなたが弱いわけじゃない。しんどい時は『助けて』と言えた方がいいし、助けを求められた人は手を差し伸べてあげなきゃいけない」と語った。
同じく、2020年のグラミー賞の授賞式で韓国のポップアーティストとして初のステージパフォーマンスを披露した人気ボーイズバンドグループ「BTS」のリーダーRMは、2018年に行われた国連総会のスピーチで、アイドルとしての自分といち青年としての自分の乖離から、自分自身の「名前を失って」喪失感を抱えていた過去を明かした。「Love yourself(まずは自分を愛してほしい)」という、シンプルながらも重みのあるメッセージが、世界の舞台で力強く響いた。
とはいえ、日本ではいまだに「精神科へ通う」ことへのハードルが高く見られているように思う。そんななかで、アーティストらがオピニオンリーダーとして先導に立ち、聴衆に向けメンタルヘルスについて語ることの意義は大きい。公の場で声を大にして語りづらいからこそ、「自分だけなのではないか」という不安を抱える人にとっては、「自分と同じ境遇にいる人が自分の周りにもいる」という事実は、何よりも心強い。ましてや、それが画面のむこうで活躍する著名人ならなおさらだ。それをきっかけに、会話が広がっていくことも期待できる。
国内でも動き出したメンタルヘルスケアの波
日本でも、今年の8月、国内でも有数のアーティストやクリエイターが所属する会社を傘下に持つソニー・ミュージックエンタテインメントが、所属アーティストやクリエイター、スタッフを心と身体の両面からサポートする「B-side」という取り組みを開始した。
以下、公式HPからの引用だ。
本プロジェクトは、ソニーミュージックグループ各社において専属マネジメント契約のあるアーティストやクリエイターが心身ともに健康な状態で創作活動に集中できるよう、サポートすることを目的としたもので、プロジェクト名の「B-side」には、表に立つ自分(A-side)だけでなく、普段の自分(B-side)を大切に、そしてソニーミュージックグループのスタッフはどんな時もアーティストやクリエイターのそばに(Beside)、という2つのメッセージを込めています。
(※3)
オンライン医療相談、定期チェックアップ、専門家によるカウンセリング、そして社内ワークショップの4つを主な柱とするこの取り組みをはじめた経緯について、あしたメディアの取材に対し、グループ担当者の徳留さんと尾花さんは以下のように語っている。
徳留さん「今まではアーティストやクリエイターのメンタルヘルスケアはマネージャーが主に行っていましたし、それが基本でした。しかし、ソーシャルメディアの発達に伴いアーティストとそのファンの距離感や、時代の変化が起こるなかで、1番大切なメンタルケアの部分をマネージャーだけに背負わせるのではなく、きちんとプロの方にもサポートしてもらうことが必要なのではと考えました。何かあった時に頼れるようなシステムをつくることで、アーティスト達を”点”ではなく”面”で支える必要があると思いプロジェクトを立ち上げました。」
尾花さん「アーティストやクリエイターが、必要な時に専門家のカウンセリングを速やかに受けられるように、外部の組織とパートナーシップを組んでいます。また、カウンセリングを受けるに至る前でも心の状態をチェックできる定期チェックアップ、匿名で365日24時間利用できるオンライン医療相談サービス、それに加え、社内の認知向上に向けたワークショップを提供しています」
開始から1ヵ月、すでに多くのアーティストやスタッフ、そして同業界の関係者から「こういう取り組みがあればいいなとずっと感じていた」と声をかけられたという。社員向けの社内ワークショップでは、心の不調が起きるメカニズムや対処法まで、メンタルケアにまつわる知見を幅広く学ぶことができるそうだ。今回の取り組みを開始する過程で、新たな課題も見えてきたという。
徳留さん「エンタメ業界に限らず、日本は海外に比べると、まだメンタルケアそのものが一般的になっていません。必要性はみんなどこかで認識している一方で、自分ごととして率先して何かアクションを起こすのはなかなか難しい。メンタルに関してオープンに語ることにまだまだ躊躇があるなかで、当社の取り組みが、会社の垣根を越えて社会全体として何か変化を起こすきっかけになればと思います」
メンタルヘルスケアを広げていくためにはエンタメ業界だけではなく、社会全体として風通しのよい雰囲気をつくることが欠かせない。
徳留さん「ローンチして終わりではないので、これからきちんと制度が浸透して利用されていくために、時間をかけて取り組んでいきたいです」
国内におけるアーティストのメンタルヘルスケア支援の取り組みは、まだまだ黎明期にあるといえる。「B-side」をはじめ、今後多くの企業や団体、組織による活動が拡大していくことだろう。その姿や声に励まされてきた分、私たちも、アーティストのそばに寄り添うことができる社会づくりに向けて、声を上げていきたい。
※3 引用:「アーティストやクリエイターを心と身体の両面からサポートするプロジェクト「B-side」始動」
https://www.sme.co.jp/pressrelease/news/detail/NEWS001675.html
取材・文:柴崎真直
編集:白鳥菜都