よりよい未来の話をしよう

いま支払うお金は誰を支えているのだろう。 「いつもの買い物」で社会は変えられる。

f:id:tomocha1969:20211006084206p:plain

自分が支払うお金がどこに行くかを考えたことはあるだろうか? 
たとえばファーマーズ・マーケットで農家の人から直接野菜を買ったとする。手渡したお金は、農家の売り上げになる。農家は、その野菜を種から育てるために、器具や肥料、水など、栽培に必要な様々な要素に使う。その場所に出店するために、ガソリンにお金を払って車に乗ってきたかもしれない。その人は、そこで受け取る野菜の対価でご飯を食べているだろうし、家族を養っているかもしれない。
スーパーで野菜を買うとしたらどうだろう?その野菜が店に並ぶためには、もっとたくさんのコストがかかっている。農家で育てられた野菜は、中間業者によってピックアップされ、店で受け取られ、スーパーで働く人によって並べられる。ここまでにかかる経費、包装材、それぞれの場所で働く人たちの給料も、そこから支払われる。それが成立するのは、規模が大きいからだ。
ファーマーズ・マーケットは、どこでも開催されているわけではないし、営業日・時間も限られている。スーパーは、毎日、遅くまで開店している。どちらが良いか、と単純に言える話でもない。

昔話をすると、私が子どもの頃、世の中の商店街というものには活気があった。野菜は八百屋で、肉は肉屋で、豆腐は豆腐屋で買った。母が書いてくれたメモを握りしめておつかいに行き、それぞれの場所で褒められるのが楽しみだった。ところが商店街は次々とできた大型スーパーに圧迫されるようになった。スーパーの何もかもがいっぺんに済むという利便性は魅力的だった。「スーパーは安い」が「商店街は高い」に変わっていくのにそう長い時間はかからなかった。

そういうことを真剣に考えるようになったのは、大人になってずいぶん時間が経ってからのことだ。ニューヨークにやってきてしばらくは自分自身も普通に大型スーパーで買い物をしていた。自分が「買う場所」について初めて考えたのは、2005年、小売最大のウォルマートがニューヨークに進出する計画を発表し、激しい反対運動が起きたときだ。当時は、ウォルマートの低賃金や強制的なサービス残業など労働者に抑圧的な労働慣習が取りざたされていた。ウォルマートは株式という観点では優良とされていた。労働コストを抑えれば抑えるほど利益は拡大できるし、株主には喜ばれる。さらに他の大企業に比べて、会社や経営者による寄付などの社会還元は圧倒的に小さかった。ウォルマートの出店を阻止することは、安い食料品にアクセスできる権利を阻まれる貧困労働層の敗北だ、という主張もあったが、労働者が手にすることのできる商品は、最低賃金でこき使われる労働者と引き換えに手に入れられるだけのことだ。その時、出店を断念したウォルマートは、その後もたびたび出店を検討してきたが、いまだにニューヨーク・シティにはウォルマートはない。そして、ウォルマートは消費者たちからのプレッシャーによって、少しずつ労働環境を改善してきた。
教訓は、自分が何かを購入するときに払うお金は、労働者たちを踏みつけることに加担したり、補強したり、株を保有する富豪たちの私腹を肥やすことにもつながる、ということだ。

こういう体験から、自分はお金を使うとき、サービスを受ける企業を選ぶとき、「いい会社なのか」を考えるようになった。この考え方は、自分の初書籍『ヒップな生活革命』(2014)にも、最新著の『Weの市民革命』(2020)(ともに朝日出版社)にも色濃く反映されている。
もちろん、この考え方を生活に取り入れるのは簡単なことではない。Amazonが配送センターの労働者やベンダーに抑圧的な体制を取っていることは知っていても、オルタナティブとなる企業が優良かとも限らない。中絶禁止、有権者の権利制限、フェイクニュースの拡散に加担するウルトラ保守の議員に献金していない携帯電話やインターネットのプロバイダーを見つけるのは至難の技だ。石炭火力や投機的取引と無縁なメガバンクは存在しないが、オルタナティブは国際送金のサービスがない信用金庫だったりする。それでも常に「ベターなオルタナティブ」を探すことには意味がある。財布を使ったアクティビズムや消費者が出す声がなければ、ウォルマートやAmazonの労働環境が改善されることはなかったはずなのだ。

f:id:tomocha1969:20211006084719p:plain

こういう考え方は、「日本ではまだまだ浸透していない」とよく言われる。そうかもしれない。けれど、それは着実に変わりつつある。
人類の未来を脅かす気候変動のイシューは、すでに消費を使ったアクティビズムを大きく取り込んでいる。たとえば、二酸化炭素排出の大きな原因を作る石炭火力に対する投資額が世界で1番大きいのは日本で、金融機関別のランキングでは、みずほ、三井住友、三菱UFJの3行がトップ3を占める。気候変動の世界では、この3メガバンクの口座を別の金融機関に移す「ダイベストメント・キャンペーン」(※1)が活発に行われている。化学繊維や土壌・水の汚染などの問題の深刻さを知って、ファストファッションと決別する人も増えている。
多くのコンビニに商品を供給してきたコスメ企業DHCの会長が、企業のサイトで、在日韓国人についてのヘイトとデマを発信したときには、コンビニに取り扱いの中止を求める署名が立ち上がり、5万人近くの署名が集まった。それによってDHCの会長によるヘイト発信がより周知されることになったし、取引をしていた数々の自治体が契約破棄や不更新を決めたし、DHCのサプリやコスメの購入をやめたという声も聞いた。
私自身も、主催するアクション・コレクティブ「Sakumag(https://sakumag.substack.com/)」のメンバーたちとともに、五輪の中止運動に参加していたが、スポンサーに名を連ねていた企業のリストは頭の中に叩き込んだ。完全に避けることは不可能だとしても、パンデミックのさなかに、決して徹底したとはいえない「コロナ対策」と、経済優先思考をもって強行された五輪によって感染が拡大し、救えたかもしれなかった命が失われたことは否定できない。そして、スポンサー企業も責任の大きな一端を担ってきたのだ。

こうやって消費者アクティビズムを追求すると、だんだん付き合える企業の数は減ってくる。それでも、環境の将来よりも自社の利益を優先する企業、差別やヘイトを容認する企業、労働者を踏みつける企業、弱者を無視する企業にお金を使うよりはよっぽどマシだ。面倒ではあるけれど、「悪徳でない」企業に忠誠心を行使すれば良い、それだけのことだ。
こうした消費者アクティビズムに参加してくれる人が増えれば増えるほど、社会はよりよい場所にすることができる、それは約束できる。
もしかすると、これを読んでくれる人の中には、何かを買うときに会社名を確認しない人も、お金を払ってレジ袋を受け取るタイプの人もいるかもしれない。コンビニでDHCが売られているのを見て、恐怖心を覚える在日韓国人がいるのだということを想像できない人もいるかもしれない。

※1:国際環境NGO 350.org Japanによる『NO! 化石燃料「FOSSIL FREE」』によるキャンペーンのひとつ。
「3大銀行さん!脱化石宣言を!」https://350jp.org/3megabank-petition/

f:id:tomocha1969:20211006084851p:plain

最初のスーパー対個人業者の話に戻る。『マーケットでまちを変える:人が集まる公共空間のつくり方』(2018,学芸出版社)の著書である鈴木美央さんによると、商店街で使ったお金の60%は、その地域を離れずに地元で循環するという。自分のお金が遠くの他人や知らない必要経費に使われるより、自分が暮らす地域に属する人たちを助ける結果になるほうがベターではないか?と提案したい。
明日、何かにお金を払うときに、払った金額がどのように使われるかに想像をめぐらせてほしい。

 

f:id:tomocha1969:20211006084937p:plain

佐久間裕美子。文筆家。1996年に渡米し、1998年からニューヨーク在住。出版社、通信社などを経て2003年に独立。カルチャー、ファッション、政治、社会問題など幅広いジャンルで、インタビュー記事、ルポ、紀行文などを執筆する。著書に『Weの市民革命』(朝日出版社)、『真面目にマリファナの話をしよう』(文藝春秋)、『My Little New York Times』(Numabooks)、『ピンヒールははかない』(幻冬舎)、『ヒップな生活革命』(朝日出版社)、翻訳書に『テロリストの息子』(朝日出版社)。2018年に個人メディアとして立ち上げ、ニュースレター期を経て、現在は、Study(勉強会)、Stream(配信)、Slack(掲示板)からなるCollectiveに成長したSakumagを主宰。慶應義塾大学卒業、イェール大学修士課程修了。

 

寄稿:佐久間裕美子
編集:おのれい