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若者が若者のうちに正しく怒れるように 『違国日記』ヤマシタトモコ インタビュー

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©ヤマシタトモコ/祥伝社フィールコミックス

 

人気漫画作品『違国日記』。2017年に『FEEL YOUNG フィール・ヤング』(祥伝社)で連載が始まると、2019年以降宝島社の「このマンガがすごい!」や「マンガ大賞」などの賞に連続でランクインしている注目作品だ。

作中では、両親を亡くした少女、田汲朝(たくみあさ)と、その叔母であり朝の引き取り手となった、少女小説家の高代槙生(こうだいまきお)の暮らしが描かれる。主人公朝の親友であるえみりを筆頭に、個性豊かなキャラクターたちが、他人との違いに悩み葛藤しながらも、共に生きていく姿に共感や発見を得る読者も多いだろう。

本作では、家族、セクシュアリティ、有害な男性性、シスターフッドなど、現代を生きる我々が直面する身近な問題が散りばめられている。

作者は、漫画家ヤマシタトモコさんだ。近年では漫画『さんかく窓の外側は夜』(リブレ出版)が映画化、アニメ化されるなど、多くの人気作品を生み出している。そんなヤマシタさんが現在連載中の『違国日記』、その魅力はどこにあるのだろうか。また本作にはどんな想いが込められているのだろうか。今回、2021年10月8日に発売されたばかりの第8巻の内容を中心に話を伺った。

愛想笑いも、可愛げもない「普通」の女

初めに、『違国日記』を描こうと思った経緯を教えてください。

最初の打ち合わせで「こんな話を描きたい」と言って挙げたのは、ポール・フェイグ監督の2016年版『ゴーストバスターズ』です。女性が集まって、楽しく騒いでいる風景がすごくいいなと思いました。打ち合わせを重ねて、女性同士の繋がりや、若い女の子が年上の女性との繋がりを得て、安心できる瞬間のある作品を描きたいと思うようになったきっかけのひとつです。当時考えていたものと、いま描いているものは全然違う展開になっていますが、そこが出発点でした。

ティーンのときに大人の女性が味方にいると心強いですよね。作中では、少女たちの味方になってくれる存在として槙生がいると思います。彼女のキャラクターはどのように考えられたのでしょうか。

槙生は元々、ビジュアルから思いついたキャラクターです。キャラクターを考えていた当時、ドラマ『エージェント・オブ・シールド』をずっと観ていて、登場する俳優のミン・ナさんの顔が好きで、三白眼の女を描きたいなと思って。槙生は三白眼の不機嫌な女です。愛想笑いもしないし、可愛げもない、ある意味「普通の女」を描きたいなという想いがあり、ビジュアル面から考えていきましたね。

ビジュアルもさることながら、槙生は発する言葉のパワーが強い女性ですよね。小説家という設定はどのように考えられたのでしょうか。

少女小説家の知り合いの方と喋ったときに、こんなに若い10代の女の子、つまり自分の読者のことを真摯に考えているのかと、びっくりした経験がありました。私はいろんな面であまり読者に優しい作家ではないので、軽くカルチャーショックだったんです(笑)。自分を省みるきっかけにもなりました。多感な瞬間を生きる若い読者を意識して描いている、ある種崇高な仕事だと強く印象に残っていたので、少女小説家という設定にしました。また、『違国日記』では生活に焦点を当てた場面をたくさん描いていますが、その中でも生活をうまく送れない人をちゃんと描こうと思っていました。そういう意味でも、在宅の作家業はぴったりだったんです。

 

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©ヤマシタトモコ/祥伝社フィールコミックス

レズビアンの物語はいつも悲しく終わる必要はない

8巻では朝の親友、えみりのエピソードが印象的でした。えみりはどんな意図で生まれたキャラクターでしょうか。

あまり初めから作り込まずに、作品を作りながら設定が決まっていくことも多いので、初めからえみりをどういうキャラクターにしようとはっきり決めていたわけではありません。ただ、それまでの間で作中に現れた、キャラクターの表層的な性質や目に見える言動だけで、読者がパターナイズしそうな像からは離れた、意外性のあるキャラクターにしたいという気持ちがありました。

彼女のセクシャリティを描くことに決めたとき、過去に色々なメディアで読んだ記事が頭に浮かびました。それは、レズビアンの物語が悲しい結末ばかりを迎えがちだ、というものです。物語の中でさえ、当事者の方が歯痒い思いをされたりストレスを受けたりして、いつまで経ってもロールモデルが現れないような状況があると気づきました。なので、えみりは「10代らしい」初々しくときめきに溢れた幸せなカップルになれるように描きたいと思いました。

えみりは、朝にカミングアウトするよりも前に、槙生に自身の葛藤を相談していましたね。同世代ではなくて大人の女性に相談する、そんなストーリーにしたのはなぜでしょうか。

10代のマイノリティの多くは多分、大人の相談相手を見つけるのが難しいと思うんですよね。えみりが槙生に相談していた設定は、いま現実世界では残念ながら難しいかもしれないけれど、そういう世界もこの先あるかもしれない、あって欲しい、という理想の提示です。いま、誰にも相談できずにいる人に、少しでも届けばいいなと思って描いています。

共感と無意識の差別への気づき

えみりは敏感で意識が高い少女というイメージですが、一方で朝はアンコンシャスバイアスが頻繁に出てきてしまう少女ですよね。

そうですね。えみりは自分がマイノリティであるという意識があり、それによって不愉快な経験もしてきて、朝よりも早く自意識を形成しているキャラクターです。朝は、多くの属性においてはマジョリティで、もちろんそうでないところもあるんだけれど、そうでないところにはまだあまり気づいていなくて。でもえみりや槙生たちを通して、周囲の世界と自分をだんだん切り離せるようになる、そのちょっと前くらいの段階です。

朝のキャラクターは、多くの人、つまりマジョリティがとりやすい行動や思考を意識して描いています。読者の方からは、たまに「朝の思春期特有の行動に、共感性羞恥で死にそう」みたいな感想をいただくこともあります。共感してもらいつつ、その共感によって自分のアンコンシャスバイアスへのフィードバックを感じて欲しい、という気持ちを込めています。

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©ヤマシタトモコ/祥伝社フィールコミックス

朝はそんな一面もありながら、同時にすごく素直で、すぐに自分の間違いを直せるキャラクターでもあると感じます。

彼女は良くも悪くも主体性に欠けるので、素直なんです。でも、主体性に欠けることが必ずしも悪くはないんですよね。たとえば槙生は、主体性の強さというか、我の強さがすごいけど、その分読んでる人には簡単に魅力的に映るキャラクターなんですよね。皆さんきっと実際に周りにいたら嫌でしょ、って思うんですけど(笑)。でも、タイミングが合えば、朝や槙生のような正反対のタイプも、楽しく共存することが可能だよねということも、伝わったらいいなと思っています。

世代を超えたシスターフッドの物語だと思っているのですが、その点は何か意識されているのでしょうか。

名前のつかない関係性を描きたいというところがあります。

物語の中では、朝と槙生やえみりと槙生のような、血縁関係や親子関係にはないけれど、強い結びつきを持った人たちを描きたいと思っています。名前や形式、共通項にこだわらずに、何もかも違う人たちでも新しく模索できる関係性があると思うんです。もっと短く言うと、「家族制度にとらわれたくない」っていうことなんですけど。

レッテルを取り払えば、もっと色々な付き合いができるということを、物語全体で提示できればなと。大人は大人として子どもを守る責務を果たしながらも、同時に友情が存在することは可能だと思うんです。それを、世代を超えたキャラクター同士の関わりの中で表現しようとしています。

作中ではジェンダーやセクシャリティ、家族主義などさまざまな問題に触れていると思いますが、漫画を通して伝えることの意義は何だと思いますか。また、どんな風に伝わったらいいなという想いはありますか。

私自身、幼い頃に映画や本で観た作品で、当時はその意味がよくわからなかったけどすごく強く印象に残っていて、大人になってから「このことを言っていたのか!」とわかった経験が何度もあって。若い人たちにとって、そんな存在の1つになれば嬉しいです。あとは、同じようなことに怒っている人たちが、「こういうこと私も思っていた」と感じてくれたらいいなと。誰かを啓蒙しようというよりは、私自身が、「こんなことあるよね」と言いたい相手に向けて作品を作っていることが多いです。だから、同じようなモヤモヤや怒りを持っている人に、伝わったら嬉しいなと思っています。 

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©ヤマシタトモコ/祥伝社フィールコミックス

みんな政治の話をすればいいのに

ヤマシタさんは作品以外でも、Twitterなどで政治や社会の話をされている印象です。

そうですね。でも仕事のアカウントで政治的な話をすると、ネガティブなリアクションが来ることもあるんですよね。だからいつもとても怖いし言わなければよかったかなとも思います。

でもだからこそ、なんでみんな政治や社会の話をしないんだ、みんなすれば良いのに、って思って発言しているところもあります。

ヤマシタさんが政治や社会問題、フェミニズムを意識されるようになったきっかけはどこにあるのでしょうか。また、いま関心がない人たちがそれらの問題に関心を持つようにするには、どうすればいいのでしょうか。

小さな頃から違和感を覚えながらも、「そういうもんだ、よくあることだ」と思ってやり過ごしていたことが、大人になって振り返ると「あって良いものじゃなかった」とか、「こういう名前がついていたものなんだ」とか、気づくことってありますよね。たとえばモラハラという言葉を知ったときに、自分の受けた経験とあまりに一致して愕然としたことがありました。でも、名前が付いていないとそのものを認識できなかったり、私が悪いんだ、仕方ないだろうと受け入れてしまっていたり、あるいは自分も人に加害してしまっていたり。そんな経験がありました。

私は20代の終わりくらいから、だんだんとそれらに名前がついていたことを知るようになって、怒ってよかった、嫌がってよかったとか、するべきじゃなかったということに少しずつ気づきました。だから明確なきっかけはないんですが、だんだんと知識を得ることによって、「自分が何を求めているのか」とか「何をなくしたいのか」が明確になってきました。それで、「じゃあ私はフェミニストと名乗った方が絶対にいいでしょう」と、気づくことができたんです。

私はできなかったけれど、若い人たちが若いときからもっと怒ることができればいいと思うんです。40代になったいまは、若者が怒れる地盤を作りたいという気持ちがすごく強いです。

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©ヤマシタトモコ/祥伝社フィールコミックス

日々、たくさんの他人と関わりながら生活を送る私たちは、時として、相手との違いに傷つき、傷つけられることがある。それらの出来事を分解してみると、構造的な問題や、個人の問題に止まらない社会的にできあがったバイアスが浮かび上がることがある。

そんなときに、共感と発見、そして反省を同時に与えてくれる作品が『違国日記』だ。ヤマシタさんが語るように、現象につけられた名前を知ったり、新たな知識を手に入れたりすること、同じような経験を共有することは、自身の心のうちを知るきっかけにもなり得る。

私たちには、正しく怒る力を付けるトレーニングが必要だ。まだまだ連載の続く『違国日記』。ここから「自分が何を求めているのか」を知り、そして怒りのトレーニングを始めてみるのはいかがだろうか。


ヤマシタ トモコ
1981年5月9日生まれ、東京都出身。2005年に『月刊アフタヌーン』の夏の四季賞を受賞。以降、ボーイズラブから男性向け雑誌まで、媒体やジャンルを問わず幅広い創作活動を行う。2010年、「このマンガがすごい! 2011」のオンナ編で『HER』が1位に、『ドント、クライガール』が2位に選出される。また『違国日記』は「マンガ大賞2019」で4位にランクインしたほか、「第7回ブクログ大賞」のマンガ部門大賞を受賞。その他の代表作に『BUTTER!!!』(全6巻)、『花井沢町公民館便り』(全3巻)など。『さんかく窓の外側は夜』が2021年10月3日よりTOKYO MXほかにて放送中。

 

取材・文:白鳥菜都
編集:大沼芙実子