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あなたの主語は「わたし」ですか?肩書にとらわれず 自分を探求する学びの場「シブヤ大学」とは

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画像:シブヤ大学ホームページ(https://www.shibuya-univ.net


コロナ禍のステイホームによって、時間に余裕ができた。空いた時間を使って、オンラインで行われている講座などを受ける人も多いという。忙しない日常に追われ今まで確保できなかった自己研鑽や内省の時間を通じ、改めて自分や社会と向き合った人も多かったのではないだろうか。「久しぶりに学びの時間を確保できた」という声も聞く。社会が変わり、それと同時に求められるものも変化しつつある今、改めて自分にとっての「学び」について考えるよい機会だろう。

本記事は、前回のシティズンシップ教育に関する記事の後編だ。前編では、高等教育において2022年度から導入される新科目「公共」を事例に、生徒の主体性を引き出す教育として注目されているシティズンシップ教育を紹介した。 (前編はこちら)

後編となる今回は、近年広がりつつある社会人のための学びの場づくりを紹介する。本稿では、いくつかの取り組みが行われている内の具体例として、渋谷区を中心に無料で授業を開講するNPO法人「シブヤ大学」を取り上げる。今回は、同大学学長へのインタビューも実施した。筆者に気づきを与えてくれたのは、社会人にありがちな“あの現象”だった。

この記事が、「なぜ今、主体的な学びが必要なのか」を問う読者のきっかけになれば幸いだ。

きっかけは若者。「『学び手』であり『つくり手』」というあり方

シブヤ大学は、渋谷区を拠点に活動する特定非営利活動法人だ。2006年に設立されて以来、行政や企業との連携事業による収入と個人サポーターによる寄附金を元手に誰でも無料で受けられる授業を提供し続けている。授業は全て事務局スタッフとボランティアによって運営されており、希望すれば誰でも授業づくりに携わることができるのが特徴だ。

現在シブヤ大学の学長を務める大澤悠季さんは、設立当時から組織を牽引してきた左京泰明現代表理事に継ぐ2代目学長として、団体発足のきっかけについてこのように語る。

「シブヤ大学の設立には、それまでお年寄りのイメージが強かった生涯学習の場を、より若い人たちのニーズにあったものにするという目的があった。若者の街渋谷ならではの新しい生涯学習のかたちとしてスタートしたシブヤ大学だが、15年経てば、渋谷の街も、若者が学びたいものも変わってくる。今、改めて私のような若い世代が学びたいことを社会に届けるために、2020年にリニューアルを行い、2代目学長に就任した。」 

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画像:大澤学長

時代が変わっても、若い世代が知りたいこと、やりたいことを、若い世代自身が探求することを大切にしているようだ。だからこそ、社会問題を扱う硬派な授業から、趣味や特技を軸にした和やかな授業までテーマも幅広い。
大澤学長はこの点について、「とにかく色んな授業があることを大事にしている。手芸からSDGsまで、色んな切り口を用意しておくことで参加者同士の興味が広がればいいなと思う」と述べる。

前回紹介したシティズンシップ教育は、生徒の主体性や積極性を引き出す取り組みだった。主体的な学びという点において、シブヤ大学の取り組みは社会人にとってのシティズンシップ教育といえるだろう。

筆者は現在、シブヤ大学のボランティアスタッフに登録している。シブヤ大学の活動には、講師や学生、スタッフも含めて男女問わずさまざまなバックグラウンドを持つ人々が関わっている。(※1)

※1 参考:BIGLOBE Style 「パラレルキャリアって何だろう?vol.2 冨永優莉さん」
https://style.biglobe.co.jp/entry/2021/03/26/120000


興味関心を広げ、「個としての自分」を形づくる

シブヤ大学の他にも、オンライン上を中心に自分の興味関心を広げ探求できる場が近年増えつつある。このような社会的取り組みの背景に関し、大澤学長は自身が海外留学をした時に抱いた、ある「危機感」と絡めて次のように語る。

「ヨーロッパに留学していた時、友達に日本の移民政策について意見を求められたことがあった。その時に、自分の意見を言えることの大切さを痛感した。政治や社会のことって一人で考えるのは少し重たいけど、だからこそ一緒に考える仲間と出会い、対等な立場で学びあえる。また、近年さまざまな学びの場が増えているのは、大人になっても好きなことを学ぶことの豊かさに世の中が気づきはじめたからかもしれない。仕事や学校だけではなくて、強制されない学びの楽しさみたいなものが大事ではないかと思う」

前時代的な価値観の刷新が迫られる今、自分の意見や主張を表明することの重要性が日に日に高まりつつあるように感じる。大澤学長が言うように、政治や社会など実体の掴みにくい規模感の問題までは手に負えなくても、自身の趣味や興味関心など、日常生活レベルで「自分はどうありたいのか」「何がしたいのか」を改めて考え直すことは、物事に対する自身のスタンスを輪郭づける上で有効だ。その前段階として、まずは「自分自身が気になること、学びたいことは何か」を探る場所が求められているのではないか。

社会に埋没する「わたし」たちを取り戻す

インタビューの最後に大澤学長が語った言葉は、筆者に大きな気づきを与えてくれた。

「いち個人に戻れる場所というのが、社会人になると減ってしまう。主語が会社や組織の中での役職になる機会が増えていくなかで、1人の個人に戻って自分の意志で自分のためになることを学ぶという場が少ないからこそ、そういう時間が大事なんじゃないかと思う。シブヤ大学の授業では、不思議と名刺交換が起きない。参加者の人たちが個に戻っている感じがいいなと思う」

社会に出て働き始めるにつれて、少しずつ霞んでいく「主体」としての個人。わたしたちは、周囲への配慮や協調性を身につければ身につけるほどに、主語としての「わたし」を見失ってはいないだろうか。「あなたはどう思う?」と問われた時に、社会的な肩書にとらわれず、個人として想いや感情を伝えられる場所が必要だ。自分自身の意志を行動に移すこと。当たり前にしているようで忘れがちなその行為が、社会や自分を少しずつ前進させるきっかけになるのだから。

その意味において、「主体的な学び」とは、「『わたし』を見つけ直すプロセス」といえるかもしれない。

 

文:柴崎真直
編集:中山明子