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『シュシュシュの娘(こ)』でミニシアターを可視化する 入江悠監督インタビュー(後編)

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新型コロナウイルス感染拡大によって苦境に陥った映画界。中でも、規模の小さな「ミニシアター」とよばれる全国の映画館は、壊滅的なダメージを受けている。そんなミニシアターを救うべく多くの映画人が立ち上がった。その中のひとりが、入江悠監督。彼は、ミニシアターで上映するための新作映画を撮ることで、全国のミニシアターを救済しようとしている。入江悠監督へのインタビュー前編では、背景として課題になっている映画業界の労働環境とお金のことを伺ったが、このインタビュー後編は、いよいよ『シュシュシュの娘(こ)』について迫る。

<入江悠監督インタビュー前編はこちら>

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(C)You Irie & cogitoworks Ltd.

ミニシアターを救うために生まれた『シュシュシュの娘(こ)』

続いて、入江監督の新作『シュシュシュの娘(こ)』について伺います。本作がミニシアター支援として制作された経緯を教えてください

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、2020年4月に全国の映画館が休業しました。その際、個人的には映画館で行う通販の支援活動をしていました。映画界全体では、濱口(竜介)※1さんや深田(晃司)※2さんによる映画館支援のためのクラウドファンディング「ミニシアター・エイド基金」や、「SAVE the CINEMA」などが行われていましたが、ぼくは新型コロナとの戦いが思った以上に長引くのではないか、と感じていました。そうなると、いくら映画ファンでも、通販やクラウドファンディングによる支援に限界が出てきます。そこで、ぼく自身は映画の制作者なので、映画を作ってミニシアターで上映することでお客さんに映画館に戻ってきてもらう方法を模索しようと考えたのが、今回の『シュシュシュの娘(こ)』を撮った動機です。

名古屋のミニシアター、シネマスコーレのドキュメンタリーを観ると、これまでずっと映画を上映してきたので上映が出来なかった日がつらい、とおっしゃっていました。川越のスカラ座も同様に、休業している間に存在を忘れられてしまうことが怖い、と。映画館でのTシャツなどの物販は確かに収入になるけど、やはり映画館は上映が命です。それが映画館の存在証明だと思います。ぼくは、コロナで映画館離れした観客に再びミニシアターに足を運んでもらうためにどうしたら良いのかを、映画館と一緒に考えたかったんです。

※1 濱口竜介監督。『ドライブ・マイ・カー』(8/20公開)がカンヌ映画祭で脚本賞受賞
※2 深田晃司監督。『淵に立つ』がカンヌ映画祭ある視点部門審査員賞を受賞

入江さんがミニシアターにそこまで特別な思い入れがある理由を教えてください

『SR サイタマノラッパー』を全国のミニシアターで上映してもらい、映画監督として育ててもらった経験が大きいですね。商業映画を作るようになって、自作をシネコンで上映してもらうようになっても、その気持ちは変わらないですね。それに、ミニシアターのお客さんからもらった感想とか、ミニシアターの支配人さんからかけてもらった声も、自分にとっては大きい。シネコンになるとお客さんの顔は見えにくいけど、ミニシアターだとハッキリ見える。この先どんな状況になっても、ぼくはいつでもミニシアターに戻れるようにしておきたい、という気持ちがあります。

ミニシアターはそれぞれ独立していますが、『シュシュシュの娘(こ)』は全国のミニシアターを束ねて一斉公開という珍しい形式をとっていますね

制作と配給を担当したコギトワークスの関さんと話して、全国のミニシアターで一斉に上映してみようと考えました。通常ならまず東京で上映して、映画を観た観客のクチコミが拡がってから全国展開するんだけど、ミニシアターを集めて花火のように同時に公開したらどうだろうか、と。上映する映画館は「上映したい」と連絡があったところ全てにやってもらうことにしました。

ミニシアターの存在感そのものを世の中に示したいということでしょうか

それがぴったりの表現です。一気に上映することで、ミニシアターが全国にたくさんあることや、様々なバリエーションがあることを可視化できると思ったんです。
また、クラウドファンディングも、ミニシアターの応援を可視化する意味があります。ぼく自身、元々クラウドファンディングを肯定的には考えていなかったけど、みんなでミニシアターを応援するために映画を作って上映するという目的があるので、今回は甘えさせてもらおうと思った。クラウドファンディングで支援してくれた人たちが、自分もミニシアター支援に関わっていると実感を持ってもらえたらうれしいですね。

自己資金の出資とクラウドファンディングの比率はどれくらいですか

ぼくの出資が、全体の1/3ちょっとくらいです。『AI崩壊』のギャラの大半くらいですかね(笑)

映画監督がそこまで儲かるものではないという話もありました。必ずしも安定した職業でもないと思いますし、お金がないことを経験している入江さんにとって、相当額の自己資金の出資はリスキーなことでもあるように思いましたが

ぼく自身、40歳くらいの年齢は、映画監督としては体力的にもキャリア的にも一番良い時期だと思っています。50代に入るとおそらく撮るペースも下がるし、もしかしたら周囲から声がかからなくなる可能性だってある。だから、いま撮らないことの方がぼくにとってはリスクだと思っています。撮っていないと自分の勘も鈍るし、後々、あの時ミニシアターの境遇を知ってて何もしなかったと考えることが、自分に大きな影響を与えると思いました。だから、たとえ手探りでも、いま動いたほうが状況に対する突破口になると思いました。

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映画を志す若者たちと作り上げた健全な現場

今回は新型コロナウイルス感染拡大の影響で仕事を失ったスタッフやキャストたちと映画を作りたかったということですが、この意図を教えてください

映画に関わるみんながどういう経緯で仕事を失ったのかとか補償があるのかとか、内情がまったく分からないので、一緒に映画を作りながら聞きたかった、という理由もありました。

今回のコロナ禍で、ぼくらのようなフリーランスの人間に対して、大手の映画会社は何も手助けをしてくれませんでした。Netflixだけが支援金を出していた。これはとても象徴的で、映画を作ってもそれに対して成果報酬がないこととも、本質的には同じこと。こういう危機的な時に大組織を守り、個々を助けてくれないのは、実に日本的だなと思いました。

キャストもまだまだ無名だったり、大手芸能プロダクションに所属していない人も起用されていた印象がありますが、そんな彼らにとって、この状況で仕事があることに安心感があったのでは

どんな時でも表現の場があるというのは、やはり安心感がありますよね。俳優に関しては、希望する人は誰でも応募してください、という形にしました。主演の福田さん以外にも、既にキャリアのある井浦新さんと宇野祥平さんにも出てもらっていますが、おふたりともちゃんと選考させてもらいました。「成果報酬型でギャラ安いですけど良いですか」と聞いたら、ふたりとも「それでもいい」と言ってくれました。

主演に選ばれた福田沙紀さんは、目が素晴らしいですね

福田さんの役は目が重要なんです。あとはダンスが大切で、オーディションでやってもらったときに踊りの幅があった。本人は上手く踊ろうと思ったらなんでもできるだろうけど、あえて“朝の体操感”を残して演じてもらいました。

井浦新さんとは、映画館支援プロジェクト「Mini Theater Park」のイベントでご一緒しましたが、映画に対してとても誠実で熱い人ですよね

めちゃめちゃ熱いですね。(井浦)新さんは『シュシュシュの娘(こ)』の撮影期間が、別の作品の撮影スケジュールと重なっていたけど、「どうしても出たいから」と、調整してスケジュールをあけてくれました。それが本当に嬉しかった。新さんとぼくは、元々それぞれ別々に映画館の支援活動をしていたけど、そういう垣根を超えて参加してくれたのはありがたかったですね。コロナで本当に映画業界は大変だけど、現状に希望があるならば、人が連帯して環境を変えていく動きが生まれることですね。

スタッフで若い学生をたくさん起用していますね

前年に韓国で撮った『聖地X』では、スタッフがめちゃめちゃ若かったんですよ。多くが20代。ぼくはいま、日本映画界では年齢的に中堅くらいか下のほうですが、韓国に行くと一番上のほう。なぜかというと、新しい若い人たちがどんどん入ってきて、プロデューサーは50歳くらいでどんどん引退している。循環サイクルが速い。そうやって若い人がきちんとお金を稼いで50歳くらいでセミリタイアする環境は、羨ましいなと思った。日本ではそもそも、若いスタッフがいないという問題がありますが。

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映画制作者のみなさんが映画を作る際に、FaceBookなどを使って助監督などスタッフを探しているのをよく見かけます

それも貧しさですよね。日本でも若い人で映画を作りたい子はいますが、いきなりプロの現場に入った結果、スケジュールも厳しくて寝る時間もないなど、過酷な環境で辞めてしまうことも多い。今回はそういうことも踏まえて、映画を学ぶインターンとして入ってもらって、とにかく寝る時間とご飯だけはしっかり確保することを宣言していました。

日本ではプロの現場も貧しく、睡眠と食事がないがしろにされています。これがずっと不満だった。そこで、今回はスケジュールにゆとりを持つことで睡眠を充分とれるようにして、食事は、クラウドファンディングの際に「メシ奢ってやるよ券」というメニューを用意して、そこで集めたお金でみんなでちゃんとした食事をしました。

クラウドファンディングは、リターンがはっきりしているものの、出したお金が何に使われてるか分からないのが不満だったが、本作のクラウドファンディングは用途として「ご飯をおごります」と明示してあるのが面白かったです

支援者に向けては、頂いたお金でご飯を食べた後の「ごちそうさま動画」を撮って送っています。今回参加したプロの撮影助手の子は、「プロの現場よりも食事がずっと良かった」と言っていました。食事がしっかりしていると、大事にされていると感じます。これは、以前『ジョーカー・ゲーム』(2015年)でインドネシアに、『聖地X』で韓国に行って思いました。休憩時間を最低1時間はとって、みんなで一緒にご飯を食べる。当たり前のことですが、日本ではそれが撮影スケジュールに組み込まれていなかったりする。それぞれ隙間を見つけては、サッと食事を済ませています。でも、たとえば『ゴッドファーザー』(1972年)を観ていると、食事のシーンは重要ですよね。ジョニー・トーの映画では、食卓で物事が決まっています。この新型コロナ感染拡大の状況でひとり暮らしの学生だと、学校もバイトもない中、誰かと一緒にご飯を食べることは、とても大事だったと思います。

今回の撮影スケジュールはどうだったのでしょうか

クラウドファンディングのおかげで、ゆったりスケジュール組むことができましたね。1日3、4時間しか撮らないことが多かった。半日で終わったり。というのも、撮影当時はコロナにどれくらい感染力があるのかわからなかったので、まずは体力を落とさないように気をつけていました。また、スタッフの学生たちはそもそも映画撮影の経験がないので、テンポよくシーンを進めることはできません。一般的なプロの現場だと、この映画は10日くらいで撮れますが、今回は3週間くらいかけました。
インターンで現場に入ってくれた学生たちは、リモートで授業があったり、バイトもあるので、来れる時には来てくださいという感じでやっていました。ずっと現場にいた人は20人くらいで、あとは出入りがありました。でも、中には学校を休学して参加してくれた子もいましたよ。

学生にとっては、良い経験になったのではないでしょうか

いきなり商業映画などの大作の現場に行かずに、こういう撮影現場を見れたというのは良かったかもしれないですね。昔、大学を出たばかりの同級生がいきなり商業映画の現場に出て、「もう絶対行きたくない」と言ってたのを思い出しました(笑)
ただ作品のクオリティに関しては、自主映画という理由でレベルを落としたりしないようにしていました。その意味では、みんな大変だったかもしれないです。

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現在の日本社会と接続する改ざんや差別

『シュシュシュの娘(こ)』は、題材が公文書の改ざんや外国人の排斥など、現在の日本社会と深く接続しています。これらは普段の商業映画ではやりづらい題材ですね

差別問題には昔から関心がありました。例えば、外国人差別などは『ビジランテ』(2017年)などでも描きましたが、地元にもそういう問題があることを知りました。ぼくも、そこで育った者として他人事じゃないと思い、ちゃんと描きたいと考えています。調べると、日本は簡単に難民申請ができないことなどもわかりました。結局、公文書改ざんもパワハラと通底しています。こういった問題は、もういい加減変えないといけないことだと思いますし、それを映画で扱いたいと思いました。

今回もそうですが、入江作品は地方都市が軸になっています。地方にこだわる理由を教えてください

日本の縮図として描きやすいんです。政治を扱うにしても国会となると要素がとても多いですが、市役所になると絞り込んで描きやすかったりします。それに埼玉県だと地元でなじみがあり、描く上でも自信もあります。今回、映画で公文書の改ざんも描きましたが、そういうことが地方都市で粛々と行われているんじゃないかと考えました。あとは、コロナの感染拡大が起きていたので、そもそもロケの問題があった。東京から撮影隊がやってくるのが怖いと。自分がまったく知らない場所に行くと、状況的にも問題があるだろうと思ったこともあり、対処しやすい地元で撮ろうと考えました。

東京と地方の差異について、映画監督としてはどう捉えていますか

東京には他にはない多様性とグラデーションがあり、エリアをひとまとめにして考えることが難しい場所です。地方は、限界集落や少子高齢化など、日本が抱える問題が先鋭化して出てきていると感じています。あと、90年代にはコギャル文化がありましたが、むしろ東京よりも地方にガングロの人がたくさんいたのも印象的でした。渋谷の様子をテレビで見て真似した結果、東京よりも行き過ぎてしまった、みたいなこともあるのかなと思います。

題材の重さに対し、ユーモアと活劇で描いた理由はなんでしょうか

映画としての間口を広くすることと、上映後に爽やかな気持ちでミニシアターを出て欲しかったからです。この映画の場合は、男性を主人公にしたらどこまでも暗くなってしまうと思ったので、女性を主人公にしました。個人的には重たい映画も好きですが、今回はちょっと気軽に、孤独や停滞を感じている人がちょっとミニシアターに行ってみようかなと思えるものをにしたかった。(上映時間が)88分だったら短くて良いよね、という気持ちもありました。

画面がスタンダードサイズ※3で驚きました

昔、商業映画でスタンダードをやりたかったことがありましたが、プロデューサーからOKが出なかった。画面が小さく見えるなどの指摘があって実際は難しいんです。でも、世界的にスタンダードの映画は今もあるし、ミニシアターでもたまに見かけます。映画の持っている多様性を見せたかった。ただ、今回はカメラを基本はフィックス※4にしたので、画を綿密に計算する必要があり、美術も含めて難しかったですね。しかし、そういう新しい挑戦ができるのも、自主映画の面白さだと改めて思いました。

※3 画面の横縦比が1.375:1または1.33:1。かつてのサイレント映画などでよく使用された
※4 カメラを固定して撮影すること

たくさんの質問に答えていただき、ありがとうございました。また、労働環境改善の取り組みも興味深く感じました。それでは最後に今後、日本映画界が前進するために必要なことについて聞かせてください

少数でも良いけど、ちゃんと志のある人たちが連帯して社会に意見を表明することが必要だと思います。これは急いでやった方が良いですね。そうじゃないと、本当に20代の若い子たちが映画界に入ってこなくなって、滅びてしまう。提言をするということは自分にも責任が伴う話ですが、「入江の現場だったら大丈夫だ」という風に飛び込んでくる人が増えると良いなと思います。今はまだ、それぞれが局地戦で頑張っていると思うけど、ここでちゃんと繋がることで、「あの2021年は、映画界がポジティブに変わったタイミングだった」と言えるようにしたいです。

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終始穏やかに時折ユーモアも見せながら、ミニシアターに対する想いなどを話してくれた入江悠監督だが、日本映画界の労働環境の話になると、真剣なまなざしの中に強い危機感を滲ませた。

先日実施した白石和彌監督の取材でも感じたが、「このままでは映画界がもたないのではないか」という実感が作り手たちの中にはハッキリとあるのだろう。ミニシアターを守ることと同様に、未来を作る若者たちが心地よく適正に働くことができる現場をどう作っていくか。映画の未来にとって重要なことだ。

今回のインタビューでは「連帯」という言葉が出たが、入江悠監督の世代が中心となって本気で繋がることを通じて、コロナ禍に直面して混沌の中にある映画界を前進させることができるのではないだろうか。映画界にとって2021年をどういう年にするかは、これから決まるだろう。


取材・編集・文:中井圭(映画解説者)
写真:服部 芽生