2021年4月、あるひとつのつぶやきがTwitter上を賑わせた。
「……大学に……進学できます!!!
本日、無事に学費・寮費等全額補助の給付型奨学金に合格しました!
これで胸を張って言えます!!
スタンフォード大学に進学します!
今までサポートして下さった全ての方々、本当にありがとうございました!!!カリフォルニアで夢を叶えます!!!」
投稿の主は、徳島県の高校からアメリカのスタンフォード大学への進学を決めた松本杏奈さんだ。
スタンフォード大学での専攻は機械工学ながら、彼女の興味関心はそれだけにとどまらない。アートから、教育、地域格差やジェンダーといった社会問題まで、広い視野を併せ持った発言でたびたび注目を集めている。
近年、高校生のうちから海外経験を積む学生や、国内の高校から海外大学受験を目指す学生は少しずつ増えている。文部科学省によると2017年時点で全国で4万7000人の高校生が海外留学を経験※1しているという。しかし、同データでは海外留学経験者の多くが東京の高校に通う学生に偏っていることも示されている。海外大学受験者、合格者についても同様に都内を中心とする名門高校がその多くを占めているようだ。
日本国内全体を見渡すと海外大学への進学はまだまだメジャーな選択肢ではなく、特に地方からの進学はさまざまな逆境を乗り越えながらの受験だったと語る松本さん。そんな彼女の、自分の可能性を信じ選択肢を広げる力に迫った。
※1参考:平成29年度 高等学校等における国際交流等の状況について(https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/ryugaku/koukousei/1323946.htm)
松本杏奈
2003年生まれ、徳島県出身。2021年3月に徳島文理高等学校を卒業。高校在学中には、アジアサイエンスキャンプへの参加、高校生向けの研究プログラムの立ち上げ、渋谷ヒカリエ「MONSTER EXHIBITION 2020ー新しい怪獣展ー」へのアート作品の出展など幅広い分野で活躍。2021年9月からアメリカ、スタンフォード大学へ入学し、機械工学を専攻。
最初のロールモデルは「ワクワクさん」
幼い頃から、自分自身で物事を試して納得できる理由を得ることが好きだったと語る松本さん。
学校の先生や周りの大人から「だめ」と言われても理由が理解できない限り納得できず、時には「問題児」と言われることもあったという。そんな彼女が好きだったのは、論理的な根拠を自分の手で導き出すことのできる数学、そして一見正反対な美術や音楽といったアートの分野だ。(※以下、かっこ内は松本さん)
「比較的、自分の手で根拠が示しやすい数学や科学は得意でした。根拠や正解がわかりやすいものが得意な一方で、音楽や美術も好きでした。これは、点数をつけられたりジャッジされることが少ないからです。学問以外でもジャッジされることは基本的に好きじゃなくて、誰とも比べられない確固たる物差しが無い分野が好きです」
なんとなく、教科書に書いてある答えがたったひとつの正解だと思い込んでしまいがちだが、彼女は「当たり前」を鵜呑みにしない。
数学や科学も、音楽や美術も他の人からのジャッジではなく、彼女自身の納得できる「正解」を追い求められる点で共通したところがあるのではないだろうか。そんな松本さんに幼少期の夢を振り返ってもらうと、数学や工学、アートの分野が入り混じった活動をする、意外な人物の名前が上がった。
「今振り返ってみると、小さい頃からNHKの『つくってあそぼ』※2でお馴染みのワクワクさんが大好きで、ワクワクさんになりたかったんですよね。スタンフォード大学の出願書類の「人生で初めて学ぶ喜びを感じた瞬間は?」をテーマにしたエッセイでもワクワクさんのことを書きました。なんでも論理的に理解したいという私のような子どもの疑問も尊重しながら、ものづくりの面白さと学びを与えてくれるところに憧れを感じていました」
※2 1990年〜2013年、NHKにて放送されていた子ども向けテレビ番組
「私を認めてくれる場所」との出会い
ワクワクさんとスタンフォード大学。一見遠いふたつだが、思わぬところにルーツがあった。ものづくりに興味を持ちながら、高校2年生になり進路選択を始めた松本さんに大きな影響を与えたのが、数多くのノーベル賞受賞者を輩出し世界最高峰の大学のひとつとも言われるマサチューセッツ工科大学(以後、MIT)だ。
「最初は、「自由の国」だったら私みたいな「問題児」でも認められるかもしれないという偏見でアメリカに興味を持ちました。色々調べる中でMITにたどり着き、「芸術と科学を融合させてテクノロジーで社会問題を解決する」と書かれたサイトを見て、私の好きなものは全部同じ世界線に存在できるんだ、と衝撃を受けました。それに、MITが求める人材として「イニシアティブを取る」「世界を変えたい」などの要件が挙げられていて、それが全部自分だと思ったんです。こんなに私を認めてくれる場所があったんだと思いました」
MITとの出会いをきっかけに、海外大学受験を目指し始めた松本さん。持ち前の行動力を生かして、アジアサイエンスキャンプ※3やグローバルサイエンスキャンパス※4など、校外の活動にも積極的に参加した。敷かれたレールから外れたとしても、自らの「正解」を追い求めて外へ飛び出すことで、自身に合った環境を見つけることができたのである。
※3アジア各国から選抜された高校生のための科学合宿プログラム。ノーベル賞学者、世界のトップレベルの研究者による講演やディスカッションが開催される。
※4国内の様々な大学が、今後グローバルに活躍しうる科学技術人材の育成を目的として、地域で卓越した意欲・能力を有する高校生等を募集・選抜し、育成する教育プログラム。
立ちはだかった壁は勉強ではなく
自分にとっての「正解」らしきものを見つけ動き出した松本さんだが、海外大学受験への道のりはなかなか思うようには進まなかったという。
学力の問題以上に松本さんの前に立ちはだかったのが、周りの大人の理解や社会的環境の要因だった。
「最初は、「徳島から出るな」とか、「無理だ」とかって言われて、誰も味方になってくれなかったんです。しかも、「女子だからつぶしが効く職業を」なんて言われることもありました。そこで、私は毎回プレゼンを用意して、なぜアメリカの大学に行きたいのか、どんな理念があるのか、それには学校のどんなサポートが必要なのかを繰り返し周りの大人に説明しました。そうすると、最初は味方なんてほぼいなかったけれど、最後には推薦状を書いてくれる先生まで現れました」
「女子だから」、「地方の高校だから」、そんな諦めの声をかけられた記憶は、筆者にも身に覚えがある。心ない大人の声に、肩を落とす学生も多くいるであろう。松本さんは、そんな社会が生まれてしまう要因についても思うことを教えてくれた。
「「女子は数学ができないから」って言われたこともあるんですけど、そんな発言が許容されてしまう社会はおかしいと思います。また、ロールモデルの不足、あるいはロールモデルがいても身近に感じられないことも海外大学受験がなかなか認められない要因のひとつだと思います。今まで、日本の高校から海外大学に行けることすら知らない層が多く、行けたとしてもいわゆる名門進学校出身の高校生ばかりでした」
松本さんがSNSでの発信やメディアの取材を積極的に受ける理由もここにある。彼女自身の存在が誰かのロールモデルになる可能性を信じて、発信を続けているのだ。「前例がいないのであれば、私が前例になればいい」と語る彼女の元には、全国の高校生から、彼女の発信に勇気づけられたとのメッセージが数多く寄せられている。
さらに、大学受験を通して、全国に住む海外大学受験を目指す高校生とも交流を重ねてきた松本さん。海外大学受験における地域格差を感じる一方で、特に首都圏の進学校出身学生が、大学受験の過度なプレッシャーに悩む姿を見て、気づきもあった。
「大学に絶対に行かなければならないと考えてしまうと、辛かったかもしれません。大学に行かなくても研究できる、他の道もある、と知れていたことはよかったと思っています。私の場合、3月時点でスタンフォード大学以外の大学にはほぼ落ちていたのですが、企業のインターンにも応募して内定が出ていました。大学が全てじゃないと思うんです」
特に一般的に「進学校」と言われるような高校に通う学生の中には、同じようなプレッシャーを感じたことのある人もいるだろう。しかし、松本さんが語るように大学進学は数ある選択肢のうちのひとつだ。決まったレール以外にも、可能性を探ってみることも大切なのかもしれない。
「もう誰も取りこぼしたくないから」
最後に、9月からスタンフォード大学へと進学する松本さんに将来の話を聞いてみた。
機械工学を専攻し、これまでの幅広い興味関心を活かした彼女の活動はどのように広がっていくのだろうか。彼女の大学での研究テーマは「触覚」だ。彼女自身が好きだという科学とアートの力で、より普遍的で多くの人が使いやすい技術の開発を目指しているという。その根底にある思いを語ってくれた。
「誰も取りこぼさない社会と技術と芸術を作りたいと思っています。私自身もいろんな場面で取りこぼされてきました。「問題児」として学校のコミュニティから取りこぼされたり、言語発達が遅かったので社会からも取りこぼされたり、地方出身なので海外大学の受験からも取りこぼされたり。今の社会も、技術も、芸術も誰かしらを排除してしまっていると思うけれど、そんな人たちもすくい上げられるようなものを作りたいです」
自身の経験をもとに、「誰も取りこぼさない」ことを活動の理念としていることを教えてくれた。そして、海外での経験を活かしていつか徳島にも戻りたいという。「周りと違うことがあまり認められない環境だったので、正直めちゃくちゃ苦しみました」と語りながらも、そんな彼女だからこそ地元に戻ってきたときに、次の世代に伝えられることがあると考えている。
「たまたま私のようなわがままな性格じゃなかったが故に、開花することのできなかった人もたくさん見てきました。課外活動を通して、徳島の外に出たからこそ、おかしいって気づけたことがたくさんあったんです。かつて問題に苦しめられた当事者かつ、外の世界と地元の環境を比べる機会を得た人間として、私と同じ思いをする人を1人でも減らすために、責任を持って徳島で感じた問題も解決しに戻ってきたいと思っています」
「できる」と信じることと、「やってみる」こと。それが彼女の道を切り開く力の根源なのかもしれない。しかし、今回のインタビューで彼女が語ってくれたように、社会には個々人の選択を止めてしまうようなさまざまな壁が存在している。「当たり前」や「社会の常識」にとらわれて、自分や周りの人の選択肢を知らず知らずのうちに減らしてしまっていることはないだろうか。個々人の「できる」を支えるのは、学校や会社、地域や国といった、社会の柔軟な姿勢だ。
ギャップタームを終え、9月からアメリカへと渡る松本さんは、「これからぶち当たるであろう壁が楽しみで仕方ない」と語る。
これからも自分らしいカラーで活躍を見せてくれるであろう彼女から、目が離せない。
取材・文:白鳥菜都
編集:柴崎真直
写真:服部芽生